Your browser does not currently have the Flash Player version 8 that is required to view this site.
Please click here to download the latest Flash Player version.
HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.134 News Index
  ひとつ前にもどる  
WTCCの魅力と歴史 WTCCを戦う選手とマシン ヨコハマタイヤとWTCC
WTCC日本ラウンド・プレビュー イベント&ヨコハマタイヤブース 鈴鹿サーキット発・直前情報
2013年のWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)は、5車種がシーズンを通じて世界各地で覇を競い合っている。FIA SUPER2000規定に基づき、市販車を改造したマシンはオリジナルのキャラクターも色濃く反映されている。
エンジンは直噴ガソリン・1,600ccターボで統一されているが、直近の大会における戦績を基にした補正(カンペンセイト)ウェイト制度が採用されており、毎戦エキサイティングなバトルが演出されている。
WTCCの面白さを知るには、参戦マシンとそれを駆るドライバーのプロフィールを知ることが必須。ここでは各車種の特徴と主なドライバーの横顔をご紹介していこう。
WTCC発足初年度から昨年まで、マニュファクチャラーとしての参戦を続けてきたシボレー。今年はマニュファクチャラー登録こそされていないものの、母体となってきたRMLが継続参戦していることで豊富なノウハウを背景に開幕戦から強さを見せ続けている。
マシンは2008年までがラセッティ、2009年からはクルーズを採用。ともに日本での販売はされていないが、GM(ゼネラルモーターズ)にとっては重要な世界戦略車種に位置づけられており、現在のクルーズもアメリカをはじめロシアや中国、アジア各地の生産拠点から市場に送り出されている。

WTCCマシンの中では、やや大柄なボディが特徴。これはラセッティ時代も同様だったが、ラセッティがコーナーリング性能にやや難があって特徴的なセッティングを施されていたのに対して、クルーズはベース車両の素性が改善されたこともあってテクニカルコースも苦手としない高い戦闘力を手に入れた。
このベース車両のポテンシャルアップが功を奏し、2010年からチャンピオンを独占。2013年はYOKOHAMAトロフィーでも速さを見せており、こちらの部門でも初のタイトル獲得が期待されている。
イヴァン・ミューラー 選手 (RML)
1969年・フランス生まれのイヴァン・ミューラー選手は、レーシングカートからモータースポーツキャリアをスタートさせた。'92年にイギリスF2選手権のチャンピオンを獲得すると、'94年からはツーリングカーレースに活動の主体を移す。その中心となったのがBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)で、8シーズンに参戦。そして2006年に、発足2年目のWTCCにセアト・ワークスの一員として挑戦を開始した。
'08年にはタイトルを独占していたBMWを下して初のWTCC王座に輝く。その後は'10年にシボレーへと移籍して同年と'11年の2年連続でチャンピオンを獲得してシボレーの黄金期を支えた。

2013年も開幕から独走を続けており、自身4回目のWTCCチャンピオンに王手をかけて日本にやって来る。現時点でWTCC最速ドライバーであることは誰もが認めるところであり、時に見せる大胆なパッシングが最大の見どころ。

2014年には新規参入するシトロエンに移籍することが既に公になっており、4年にわたるシボレーでの活躍も今年で見納め。パッシングが難しい鈴鹿・東コースをどのように攻略するのかが気になるところだが、意外にも岡山開催時代を含めて日本では未勝利のミューラー選手。圧倒的な強さを見せている今シーズン、日本戦で初の優勝を飾るか注目したい。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 176戦 / 完走数 : 163戦 / 完走率 : 92.6%
優勝回数 : 36勝 / 勝率 : 20.5% / 表彰台(3位以内獲得率) : 51.1%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 20回


ミシェル・ニュケア 選手 (Nika Racing)
1979年・デンマーク出身のミシェル・ニュケア選手は、地元ツーリングカー選手で長くキャリアを積み重ねてきたドライバーだ。デンマーク・グループN選手権では参戦5年目にセアト・イビーザを駆ってチャンピオンを獲得。翌年からデンマーク・ツーリングカー選手権にステップアップ、こちらも5年目でセアト・レオンでチャンピオンを獲得したのに加え、FIAヨーロッパ・ツーリングカー・カップでもタイトルを獲得してきた。

そんなデンマークの雄がWTCCに初参戦したのは2010年。SUNRED MOTORSPORTからディーゼルエンジンのセアト・レオンを駆り、強豪ひしめく中でドイツの第16戦で4位のベストリザルトを残す。
翌'11年はチーム/マシンは変わらないものの、YOKOHAMAトロフィー登録での参戦となる。このシーズンは開幕戦からYOKOHAMAトロフィーの2位を獲得して強さを見せると、チェコでの第10戦、そして鈴鹿での第19&20戦、マカオでの第23&24戦でYOKOHAMAトロフィーを制したが、惜しくもランキング争いでは僅か2点差で2番手に留まった。

2012年はSTCC(スカンジナビア・ツーリングカー選手権)を活動の主体としたためWTCCにはブラジル戦のみのスポット参戦となったが、bamboo-engineeringのシボレーを駆ってしっかりYOKOHAMAトロフィーの優勝と2位を獲得している。

そして2013年はNika Racingからシボレー・クルーズでフル参戦。イタリアでの第2戦で総合2位、続くモロッコでの第3戦では遂に史上5人目となるYOKOHAMAトロフィー登録選手による総合優勝を獲得。さらにロシアでの第12戦でも総合優勝を飾った。
アメリカ戦を終えて、YOKOHAMAトロフィーのランキング争いはジェームス・ナッシュ選手との同点首位。最終戦までもつれ込むことは間違いなさそうだが、日本でリードを築くことが出来るのか注目だ。


 【Driver's Data】
決勝出走数 : 68戦 / 完走数 : 60戦 / 完走率 : 88.2%
優勝回数 : 3勝 / 勝率 : 4.4% / 表彰台(3位以内獲得率) : 10.3%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 0回
昨年の日本ラウンド、鈴鹿でデビューしたホンダ・シビック。2013年は開幕戦からフル参戦、ホンダはマニュファクチャラー登録を行って欧州の名門・JASとのパートナーシップを組んで戦っている。参戦台数はマニュファクチャラー直系からの2台に加え、Zengo Motorsportからも1台が参戦。車体をJAS Motorsport、エンジンは本田技術研究所が開発する日欧のタッグで、参戦を重ねるごとに戦闘力を向上させてきている。

ベース車両は欧州市場向けのシビックで、ハッチバックボディ。ワイド&ローでバランスに優れており、コースレイアウトに左右されることなくポテンシャルを発揮するマシンという印象だ。そしてやはりホンダと言えば、エンジンのパフォーマンスが光るところ。WTCCではエンジン規定も細かく、年間を通じて使えるのは1台あたり1基のみでターボもFIA公認のギャレット・システムズ社製に限られている。さらにエンジン重量は82kg以上、寸法なども全体のみならず細かいパーツ毎に定められており、現行規定内では開発の自由度が小さい。そんな中でも燃料噴射やターボ、アンチラグシステムなどの制御、さらに吸排気系といった規定で縛られていない部分の調整を進めることで、着実に戦闘力を高めてきている。
特に鈴鹿は昨年の参戦データがあることから、後半戦に入ってこうした細かい部分で“攻めの姿勢”を見せているホンダにとって、好成績が期待される一戦となる。
ガブリエレ・タルクィーニ選手 (Castrol Honda World Touring Car Team)
WTCC参戦ドライバーの中で“元・F1パイロット”の代表格と言えるのが、大ベテランのガブリエレ・タルクィーニ選手だ。1962年生まれのイタリア人ドライバーは、年齢こそフランツ・エングストラー選手より1歳若いので“WTCC最長老”ではないが、やはりベテランならではの豊富な経験に裏打ちされた走りが特徴となる。

WTCCには2005年のシリーズ発足から継続参戦しており、初年度はアルファ・ロメオ、'06年からはセアト、そして今年からホンダと、メーカーワークスを渡り歩いてきている。もちろんそこには優勝請負人という側面もあるが、さらに豊富な経験を基にしたマシン開発能力が高く評価されていることも見逃せない。事実、昨年はセアトを駆りながらもシーズン後半にはホンダの開発ドライバーをつとめ、シビックWTCCの進歩に大きく貢献している。

ロブ・ハフ選手と並んで、WTCC皆勤賞ドライバーの一人であるタルクィーニ選手。194戦に出走して完走率86.6%という安定した戦いぶりはベテランならではと言える。2013年はホンダ・シビックのドライバーとして日本のファンからも改めて注目を集めているが、スロバキアでの第5戦でシビック初優勝を飾ったニュースは記憶に新しいところ。さらにアメリカでの第18戦でシーズン2勝目を挙げ、ホンダのマニュファクチャラータイトル獲得を決めた。

そしていよいよ凱旋レースとなる日本ラウンド。実はミューラー選手と同様に、岡山時代を含めて日本では勝ち星を挙げていないタルクィーニ選手だが、今年はホンダファンの大歓声を背にして快走が期待されるところだ。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 194戦 / 完走数 : 168戦 / 完走率 : 86.6%
優勝回数 : 19勝 / 勝率 : 9.8% / 表彰台(3位以内獲得率) : 48.9%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 17回


ノルベルト・ミケリス 選手 (Zengo Motorsport)
1984年・ハンガリー生まれのノルベルト・ミケリス選手は、母国で開催されているスズキ・スイフト・カップとルノー・クリオ・カップで立て続けにチャンピオンを獲得して期待を集めた。この実績を背景に2008年にはハンガリーのセアト・レオン・スーパーカップと、セアト・レオン・ユーロカップに参戦、前者でシリーズ2位に輝く。
さらに'09年には2年目となるセアト・レオン・ユーロカップで5勝を挙げてチャンピオンに輝いたほか、ETCC(イギリス・ツーリングカー選手権)にもレオンのディーゼルエンジン車で参戦してシリーズ3位を獲得。

こうした実績が認められて2010年からWTCCへの参戦を、セアト・レオンTDiを駆ってZengo-Dension Teamから開始。最終戦のマカオではアクシデントが多発するタフなレースで、最後はタルクィーニ選手の追撃を振り切って総合優勝を飾り、同年のルーキー・チャレンジ・チャンピオンに輝いた。

'11年はチームは同じながら、マシンをBMW320TCにスイッチ。YOKOHAMAトロフィー登録となり、地元ハンガリーの第7戦で総合2位を獲得したほか、YOKOHAMAトロフィーで3勝を挙げて存在感を見せる。
翌'12年はチーム/マシンともに変わらず、ハンガリーの第10戦では遂に母国での総合優勝を飾ることに成功。この勝利を筆頭にYOKOHAMAトロフィーで5勝を挙げてシリーズタイトルを手中におさめた。

そして'13年、チームはマシンをホンダ・シビックにスイッチ。3年ぶりにマニュファクチャラー扱いでの参戦となったミケリス選手だが、スロバキアの第5戦で3位となってシビックによる表彰台独占を演じたほか、地元ハンガリーでの第7戦では2位、オーストリアやロシア、アメリカでも3位表彰台を獲得するなどの活躍を見せている。この戦績はタルクィーニ選手の7回には届かないものの、モンテイロ選手の2回を大きく上回る表彰台獲得数であり、鈴鹿でも“お立ち台”候補の一人に数えられる。


 【Driver's Data】
決勝出走数 : 89戦 / 完走数 : 73戦 / 完走率 : 82.0%
優勝回数 : 2勝 / 勝率 : 2.3% / 表彰台(3位以内獲得率) : 12.4%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 1回


伊沢拓也 選手 (Honda Racing Team JAS)
2013年のWTCC・日本ラウンドにおいてスポット参戦するドライバーが、29歳の伊沢拓也選手だ。

1996年にレーシングカートでデビュー、同年のSL榛名シリーズSCクラスでチャンピオンを獲得してデビューイヤーから優れたドライビングセンスを見せつける。その後、全日本カート選手権やCIK-FIAアジア・パシフィック・カート選手権への参戦を経て、'02年に鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-F)に入校し首席で卒業。
また、同年は日本自動車連盟(JAF)が若手選手育成の為に設けた18歳未満の者に対して発給される限定ライセンスを日本で初めて取得。これによりヨコハマタイヤのワンメイクで競われていたJAF地方選手権フォーミュラ4に参戦し、シリーズランキングで5位となっている。

こうして順調にキャリアを積み重ねてきた伊沢選手は、海外でのレース経験も積んで日本に帰国してから、全日本F3選手権、SUPER GT、フォーミュラ・ニッポンとステップアップを果たし、日本を代表するレーシングドライバーの一人として知られるようになって現在に至る。また、その過程では2006年から2008年までの3年間、スーパー耐久シリーズの十勝24時間レースにも出場。2007年と2008年にはヨコハマタイヤを装着するホンダ・シビックTYPE-R(FD2)を駆り、2年連続でクラス優勝も飾っている。

伊沢選手の出場により4台が参戦するホンダ・シビック。大ベテランのタルクィーニ選手、中堅のティアゴ・モンテイロ選手、そして伊沢選手と同年齢の若手であるミケリス選手と層の厚さが光るが、このなかでどのような戦いぶりを見せてくれるのか注目が集まる。
スペインの自動車メーカーであるセアト。日本には正規輸入されたことが無いために知名度も高くないが、現在はフォルクスワーゲン・グループの一員であり、ゴルフやアウディ・A3などとプラットフォームを共有している。モータースポーツについてもヨーロッパでは積極的な活動を展開しており、ワンメイクレースでは多くの有能なドライバーが鍛えられ、育っている。
レオンは前述の通り、フォルクスワーゲン・ゴルフやアウディ・A3と“兄弟関係”にあるだけに、基本的なポテンシャルは一線級。5ドアハッチバックのボディは比較的小柄で、FF(前輪駆動)ながら機敏なパフォーマンスを示す。過去にはディーゼルエンジン搭載車がWTCCを席巻したが、現在は他車と同じ直噴ガソリンの1,600ccターボエンジンを搭載。フォルクスワーゲン・グループは直噴ガソリンエンジンに早くから積極的に取り組んでいたこともあり、レース用エンジンについても高い完成度を誇っている。

残念ながら2009年を最後にメーカーとしてのWTCC活動にはピリオドが打たれているが、今シーズンは昨年の覇者であるロブ・ハフ選手がシボレーから移籍したことが大きなニュースとなった。ハンガリーの第8戦では優勝も飾っており、戦闘力的には正直なところ厳しい面も否めないが、予選でここ一発の速さを見せられれば鈴鹿では優勝争いの一角を占める可能性も高い。
ロブ・ハフ 選手 (ALL-INKL.COM Munnich Motorsport)
WTCC発足初年度からシボレー一筋で参戦を続け、“シボレー三羽がらす”の一人としてラセッティからクルーズへと乗り継いだ1979年・イギリス生まれのロブ・ハフ選手。シボレーのマニュファクチャラー参戦最後の年となった2012年、チームメイトのミューラー選手と最後の最後まで激しいタイトル争いを演じ、結果として悲願のWTCCチャンピオンを手中におさめた。

ハフ選手はミューラー選手同様にレーシングカートからモータースポーツキャリアを歩み始めた。プロ・カート耐久シリーズでは6シーズンに参戦したうちで5回のチャンピオンを獲得。4輪レースに転向した後はBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)などを経て、'05年からWTCCに参戦している。
シリーズ発足初戦から現在まで、タルクィーニ選手とともに皆勤賞を続けているハフ選手。長くシボレーを駆ってきたが、マニュファクチャラー参戦撤退を受けて'13年はALL-INKL.COM Munnich Motorsportからセアト・レオンでの出場となった。WTCCでは圧倒的にシボレー色の強いハフ選手だが、'03年にはイギリスのセアト・クプラ選手権で3勝を挙げてチャンピオンに輝き、'04年のBTCCもセアト・トレドを駆っての出場だった。

ゼッケン1をつける今シーズンは、これまでのマニュファクチャラー時代に比べれば厳しい戦いを強いられているのは否めないところ。そんな中でもハンガリーの第6戦では優勝を飾り、ポルトガルの第14戦でも2位に食い込むなど、ディフェンディングチャンピオンらしい意地を見せてくれている。元々、表彰台獲得率が高いという特徴があり、ステディな粘りの戦いぶりが目立つドライバーだ。
日本ラウンドについては、2010年の岡山開催において第1レースを制しているハフ選手。鈴鹿で再び表彰台の真ん中に立つことを期待するファンも多い存在だ。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 196戦 / 完走数 : 168戦 / 完走率 : 85.7%
優勝回数 : 24勝 / 勝率 : 12.2% / 表彰台(3位以内獲得率) : 59.7%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 11回


マルク・バッセン 選手 (ALL-INKL.COM Munnich Motorsport)
1978年・ドイツ出身のマルク・バッセン選手は、豊富なキャリアを持つドライバーとして知られている。元々はレーシングカートからモータースポーツの世界に入ったが、フォーミュラ・ジュニアやポルシェ・カレラカップを経て、2000年代半ばからは耐久レースで多くの好成績を残してきた。特に'07年にはデイトナ24時間レースでポルシェ997GT3を駆ってGTクラスを制し、さらにニュルブルクリンク24時間レースでもGT3クラス優勝を飾っている。

その後、'10年からはFIA GT1世界選手権に参戦、2年間ランボルギーニ・ムルシエラゴをドライブして、'12年にメルセデス-ベンツSLS AMGへとスイッチ。この年にシリーズチャンピオンを獲得するとともに、ニュルブルクリンク24時間レースではアウディR8 LMSを駆って優勝を飾っている。

このような華麗な経歴の持ち主だが、もうひとつ忘れてならないのはニュルブルクリンク・北コース(ノルドシュライフェ)における市販車のコースレコードホルダーであるということだ。2010年6月29日、バッセン選手の駆るイタリアのスーパーカー「パガーニ・ゾンタR」は6分47秒50をマーク、この記録は今も破られていない。

2013年からWTCCへの挑戦を開始したバッセン選手、これまでの最高位はイタリアでの第2戦で記録した4位。残念ながら表彰台には未だ立っていないが、シングルポジションを何回も獲得しているだけに鈴鹿での戦いぶりが楽しみなところだ。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 18戦 / 完走数 : 16戦 / 完走率 : 88.9%
優勝回数 : 0勝 / 勝率 : 0.0% / 表彰台(3位以内獲得率) : 0.0%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 0回
WTCCに参戦するマシンの中で、唯一のFR(後輪駆動)がBMWだ。その特徴はタイヤ摩耗に対する有利性と、スタンディングスタートを得意とする点にある。
前者のタイヤ摩耗性能については、操舵と駆動が前後でわかれているFRの一般的な特性でもあるが、特に前後バランスに優れるBMWでは大きな武器になる。コーナーリング性能が高いにも関わらず、多少粗い路面であっても摩耗の進行度合いがFF(前輪駆動)勢よりも弱く、レース終盤のプッシュや接近戦で強みを見せられるのだ。

そして後者のスタンディングスタートは、停車状態からのフルスロットルに対して駆動輪であるリアにしっかり荷重をかけられるので、第2レースではロケットスタートを演じることも珍しくない。スターティンググリッドが2列目や3列目でも、1コーナーまでの間にトップを奪うというシーンは、WTCCの歴史の中で何度も繰り返されてきた。これはリバースグリッドとなる第2レースにおいて、インディペンデント勢にもユーザーが多いBMWが、ポールポジションからオープニングラップで大量マージンを築きあげる可能性もあるということ。
BMWについては第2レースが特に注目、そのスタートシーンは絶対に見逃せない。
トム・コロネル 選手 (ROAL Motorsport)
1972年・オランダ生まれのトム・コロネル選手は、WTCCを戦うレギュラードライバーの中でもっとも日本で知られた存在と言っても過言ではないだろう。'90年にレースデビュー、翌年にはシトロエンAX・カップでチャンピオンを獲得して順調にステップアップを果たしてきた。

その過程で転機となったのが'96年、日本に渡り全日本F3選手権にエントリー。'97年にはシリーズチャンピオンを獲得し、翌年からはフォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権でシートを得る。日本のファンから注目を集める中、'99年にはフォーミュラ・ニッポンでチャンピオンを獲得した。

2000年代になると、ル・マン24時間やFIA GT選手権、ETCC(イギリス・ツーリングカー選手権)などを主戦場として活躍を続ける。そして'05年に発足したWTCCにセアト・トレドで参戦、'06年からはマシンをレオンにスイッチして同年のYOKOHAMAトロフィーを獲得。その後も'10年までセアトを駆ってきたが、'11年からはBMW320TCをドライブしている。

日本ラウンドでは岡山での開催初年度、'08年の第2レースで優勝を飾って日本のファンから祝福を受けた。さらに'11年は鈴鹿でも第2レースで優勝、現時点で岡山と鈴鹿の両方で優勝している唯一のドライバーである。
ここが大きなポイントであり、やはり日本で戦っていた経験値は現在のWTCCでも活かされているようだ。特に鈴鹿・東はパッシングポイントが限られるだけに、スタンディングスタートを得意とするBMWを駆るコロネル選手は第2レースのスタートから1コーナーまでのダッシュが要注目である。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 196戦 / 完走数 : 171戦 / 完走率 : 87.2%
優勝回数 : 3勝 / 勝率 : 1.5% / 表彰台(3位以内獲得率) : 9.2%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 0回


メルディ・ベナニ 選手 (Proteam Racing)
1983年生まれのモロッコ人レーシングドライバー、メルディ・ベナニ選手のWTCCデビューは印象に残るものだった。
2009年5月3日、WTCCとして初めてのアフリカ上陸となるモロッコ戦がマラケシュの市街地特設コースで開催された。この一戦にExagon Engineeringからセアト・レオンを駆って、WTCC初参戦を果たしたのがベナニ選手。地元ファンの大きな声援を受けて、セーフティカーも導入される波乱のレースにおいてYOKOHAMAトロフィーを初参戦で制するという偉業を成し遂げた。

ベナニ選手は2000年にモロッコ・カート選手権とモロッコ・フィアット・パリオ・トロフィーでモータースポーツのキャリアをスタートさせた。カートは初年度からチャンピオンを獲得し、翌'01年にはヨーロッパ・カート選手権に挑戦してシリーズ2位の好成績をおさめている。

レースは'04年から本格的な活動に入り、同年はアジアン・フォーミュラBMW選手権にシリーズ参戦。最終ランキングは3位となったが、この年に開催された日本ラウンドにも出場しオートポリスを走行した経験を持つ。
その後はユーロシリーズF3000などを経て、'09年に前述の通りWTCCに初参戦を果たす。
YOKOHAMAトロフィー登録で'09年は8位、'10年は5位、'11年と'12年はともに7位というランキング成績を残してきた。

一貫してBMWを駆っており、日本ラウンドには'10年から毎年参戦している。ここまでの日本での最上位は'12年の第2レースで記録した総合7位、今年はさらなる上位進出が期待される。


 【Driver's Data】
決勝出走数 : 98戦 / 完走数 : 77戦 / 完走率 : 78.6%
優勝回数 : 0勝 / 勝率 : 0.0% / 表彰台(3位以内獲得率) : 3.1%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 0回
ロシアのアフトバス社が輸出で用いているブランドがラーダ。ソビエト連邦時代から重工業メーカーとしてのポジションを確立しており、自動車生産も乗用車から4輪駆動のオフロードタイプ、軍需用車両まで幅広く担っている。近年はルノー・日産グループとの関係も強化しており、生産品質の向上や技術革新がめざましい。
WTCCには2008年と2009年にマニュファクチャラー参戦を行ったが、参戦当初は110という4ドアセダンをベースとしていた。岡山国際サーキットで行われた日本ラウンドにも参戦、ノスタルジックな直線基調のボディにオーバーフェンダーという出で立ちは、多くのファンの目に焼き付けられていた。その後、プリオラというセダンにマシンをスイッチするも、2009年を最後にWTCCから姿を消してしまった。

そして2012年のスポット参戦を経て、今シーズンからはグランタを投入してフル参戦。2008年から2009年の参戦では最上位が6位だったが、今シーズンは地元・ロシアでの第11戦で5位を獲得。続くポルトガルでは2戦連続で6位を獲得、予選もQ1を通過する常連になりつつあるので、戦闘力が地道に高まってきているのは間違いないところだ。
ジェームス・トンプソン 選手 (LADA Sport Lukoil)
ワイルドな風貌が個性的な1974年生まれのイギリス人ドライバー、ジェームス・トンプソン選手はツーリングカーの豊富なキャリアを誇っている。特にキャリアの前半は'94年から参戦したBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)で、史上最年少優勝記録を塗り替えたり、ヴォグゾール、ホンダ、アルファ・ロメオとワークスチームを渡り歩いてきた。
そして2003年からは並行してETCC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)に参戦。両シリーズを戦った結果、'04年にはBTCCで2回目のシリーズチャンピオンを獲得した。

しかしBTCCが'05年からWTCCへと発展したのに伴い、トンプソン選手も戦いの舞台をWTCCに絞ることとなる。'05年はアルファ・ロメオのワークスドライバーの一員として戦い、'06年はセアトに移籍してレオンを駆り、'07年にはマニュファクアチャラーとしては撤退していたアルファ・ロメオをNテクノロジーで走らせた。
Nテクノロジーは'08年になってマシンをホンダ・アコード ユーロRにスイッチ。引き続き同チームからWTCCに参戦したトンプソン選手、イタリア・イモラでの第17戦で3位表彰台を獲得すると、続く第18戦では6番手スタートから見事な逆転優勝を飾ったことは日本でも大いに話題を集めた。

その後はラーダとの関係を深め、'09年にはシーズン途中で投入された新型マシン「プリオラ」を駆って出場。ラーダの活動休止に伴って'10年から'11年にかけてはWTCCの舞台から姿を消していたが、'12年にラーダが活動を再開すると新型車「グランタ」でスポット参戦。'13年は本格的にマニュファクチャラー活動を再開したラーダのエースドライバーとして、マシンの開発も担っている。

 【Driver's Data】
決勝出走数 : 108戦 / 完走数 : 93戦 / 完走率 : 86.1%
優勝回数 : 4勝 / 勝率 : 3.7% / 表彰台(3位以内獲得率) : 14.8%
予選総合トップ(第1レース ポールポジション)獲得数 : 1回
[UPDATE : 11.Sep.2013]
ひとつ前にもどる