2001年まで歴代シビックで行われてきたワンメイクレースは、'02年から'07年までインテグラにマシンをスイッチしていた。しかし'05年9月にFD型シビックがデビュー、1年半後の'07年3月に待望の「TYPE
R」が追加された。そして同年9月にはワンメイクレースベース車も発売され、2008年からはFD2型シビックによるワンメイクが開催された。
タイヤはインテグラ時代の最終年度となった'07年同様にヨコハマタイヤのワンメイクとなったが、このFD2型シビック用タイヤの開発を取りまとめたのが八重樫剛(左写真)である。
「自分が担当になったのは'07年のシーズンが終わった後、翌年度からはFD2で行われると決まってからです。前任者がある程度の開発を進めたタイミングで、最終確認テストの少し前くらいにバトンを受け継ぎました」
FD型シビックは、日本でいう3ナンバーサイズの4ドアセダン。インテグラやEK9以前のシビックと比べても、ボディサイズや重量などのスペックや車のキャラクターに違いがあった。
「FD2型になって、車としては大きく・重くなりました。そしてタイヤについても18インチサイズへと変化しました。タイヤサイズの拡大については、決してこれはエンジニア的に楽な要素ではないのです。タイヤのハイトが低くなって、フレキシブルに動かせるゾーンが狭くなるので、意外と難しいものなのです。
一方、車としてはリアが安定して破綻しないのですが、当時はコーナーリングでノーズが“キュッ”と入っていく感じではなかった。そこで“曲げたい”という一心でホンダさんの開発も足を硬くする方向でしたから、ある程度の法則として車のアシが硬いのであればタイヤも硬い方に向かう、そんな感じでのスタートでした」
新しい車ゆえ、試行錯誤も続いた開発の初期段階。今だから笑い話として言えるエピソードもあるという。
「当初はタイヤが硬いので、ユーザーさんが自分で組めないということが問題になったり。また、これはタイヤだけの問題ではないでしょうが、普通にコースを走っているだけでフロントの小さい三角窓にヒビが入るという出来事もありました。
いろいろなことがあったのですが、ユーザーさんには参戦を重ねていくうちにタイヤの素性を理解していただきましたし、アシもどんどん柔らかい方向に進んでいきました。そしてタイヤと車のマッチングが急速に良くなっていき、『このタイヤで良かったね』と言われるようになるまで、そんなに時間はかかりませんでした」
こうしてFD2時代のバトルもしっかり支えたヨコハマタイヤだが、FD2はワンメイクレース以外でもヨコハマタイヤを装着して活躍を見せて行った。
「スーパー耐久やマレーシアで開催される耐久レースにも、ヨコハマタイヤを装着したFD2が参戦しましたね。もちろんスプリントのワンメイクとタイヤは異なるものですが、車とのマッチングについて先行して解っていたのでワンメイクでの経験をフィードバックして耐久でも結果を早々に出すことが出来ました。例えばスーパー耐久では、『FD2はそんなに速くないのでは?』という声も参戦前にはあったようですが、実際にデビューすると『速すぎるから性能調整が必要では?』という声に変わっていましたね」
こうして現時点で“最後のシビックワンメイク”も支えてきたヨコハマタイヤ。八重樫はシビックワンメイクレースで学んだことも多いと締めくくった。
「やはりシビックワンメイクはレベルが高いところにありましたね。個人的には当時は駆け出しのモータースポーツタイヤエンジニアだったので、タイヤの作り方というか調教の仕方というか(笑)、いろいろなことを勉強させてもらいましたね」