今では国内最高峰のSUPER GTなどで活躍を見せる折目遼選手。
ここからは“レーシングドライバー・折目遼”が誕生するまでの経緯についてお聞きしてみた。
「モータースポーツの世界にはレーシングカートから入っています。
元々は父がバイクのトライアル競技をやっていて、国際級のところまでステップアップしたのですが、怪我をしてプロへの道を断念したんです。でも、競技をやめてからもF1をはじめとしたモータースポーツ観戦は好きで、僕も一緒に見ていました。
そんな家庭だったので、おのずと自分もモータースポーツには興味を持っていましたね」
モータースポーツが子供の頃から身近な存在だったという折目選手。どんな少年時代を過ごしていたのだろうか。
「やっぱり自転車で近所を走り回るのは好きでしたし、マウンテンバイクを買ってもらった時には自分でジャンプ台を作って走らせてみたりもしました。
でも、スーパーカーやF1などのブームに影響された世代ではないので、レーシングドライバーを見て『あの人が格好良いからレーサーになりたい』といったことはあまり無かったですね」
まずは自転車に夢中になったという折目選手。年齢を重ねるごとに“速さ”を追求する気持ちが大きくなっていったようだ。
「自転車で色々とやっているうちに、もっとパワーが欲しいと思うようになりました。でも、なんというか父と一緒の道には進みたくなくて、4輪のモータースポーツ、その中でもF1ドライバーになりたいなって思うようになりました。
その第一歩としてはカートだろうということで、中学生の時にカートの雑誌を買ってきて『これをやってみたい』と父に言ったんです。一所懸命に父を説得して、結果的にやらせてもらえるようになったのは高校に入学してからでした。
理解はあったんですが、まずは勉強をしっかりやりなさいということで、父が望んでいた高校に合格したらOKだよ、と。だから中学生の間はサッカー部に入りつつ、カートに乗れる日にむけてトレーニングを続けていました。そして、晴れて高校に合格してカートを買ってもらえたんです」
周りは中学生や小学生からカートに乗っているという選手が多い中で、やや遅いデビューとなった折目選手。
しかし16歳でデビューして、翌年には琵琶湖選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。これはまさしく天性の才能が開花したということなのではないか。
「いや〜、まぁ天才だったんでしょうね(笑)。
でも、本当に16歳でデビューするまで、カートには全く乗ったことが無かった。だから逆に、始めてからはたくさん練習していました。
天才だったというのは冗談ですが、感性というのは持ち合わせていたかもしれません。練習も実際に走ったのはもちろん、中学生の頃から世界選手権やいろいろなカートレースのビデオを、それこそテープが擦り切れるくらいまで見ていました。それもただ見るのではなくスロー再生や逆再生もしてコーナーの攻め方なんかを研究して。こうした積み重ねは、実際に乗るようになって色々な場面で活きてきていますね」