林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「ホントに100点をあげたい。特に決勝に関しては2人とも100点ですね。
予選に関しては若干不満の残る時もありましたが、レースではペナルティもなかったし、ドライバーのミスは全くなかった。そのおかげで、クルマはトラブルで1回だけリタイヤしましたけれど、それ以外はドライバーがきっちりといい仕事をしてポイントを獲ってきてくれた。
あとは、途中抜かれたりもしますが最終的に絶対に順位を上げて帰ってきてくれたのは評価につながりましたね」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「林さんから見て、一樹(星野一樹選手)とマー(柳田真孝選手)の違いはなんでしょうか?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「一樹は、今年初めて一緒に仕事をするドライバーだったので、正直良く分からなかったです。
マーの場合は、前にGT300やGT500でも一緒に乗っていて付き合いが長かったので、セットの話をするにしても困ることはなかったですね。2007年のGT500が最後だったんだけれども、それからだいぶ成長したなと思いました。それは多分、NISMOやMOLAやいろいろなところに乗ってスキルが身についてきたのかなと。レース中に周りを見てどういう走りをしたらいいかとか、予選のアプローチにしても、大人になったなという感じはしましたね。
一樹は今年初めてと言いましたが、実は忘れていたんですけれど、2002年のシルビアに、岡山でちょっと乗ったらしいんですよ。僕は全然覚えていなかったんですが、本人から言われてそうだったんだって。
鈴鹿のテストで初めて乗って、そこそこのところにいたんで、ああ、ちゃんと走るんだなっていう印象。その後マーに替わってもどっこいどっこいだったんで、うちとしては力の差があまりないドライバーをそろえることができたなという感じでしたよ」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「SUGOの時のクラッシュのような、ああいう場面はエンジニアとしてはどうなんですか?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「もう、えらいことをしてくれたなと(笑)。
あのとき、たとえば1アタック目を終えてタイムを出した後に、スーパーラップに残るためにもうちょっと攻めたっていう結果のクラッシュだったらまだ良かったんですけれど、あのときはまだアタックできていない周だったので、そこで失敗してはいかんなぁと思いましたよ。
予選はまず、きちんと1回はタイムを出す。1周しかタイヤの一番おいしいところはないのかもしれないけれど、でも・・・というのはあった」
金曾裕人さん (apr)
「あれ(車両の修復作業)、徹夜だったの?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「ううん、朝4時ぐらいには終わった」
金曾裕人さん (apr)
「っていうことは、ホテルには戻れたんだ?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「正直、セパンを狙っていたんですよね。RX-7が速いだろうからきついとは思っていたけれど。セパンが駄目だったと。これはSUGOを勝たなきゃいかんと言うつもりで、せいぜいうちにチャンスがあるのは鈴鹿ぐらいまでだなと思っていたので」
金曾裕人さん (apr)
「そのあたりまでは、MOLAのほうが決勝では上にいなかったっけ?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「そう、SUGOで初めて一緒ぐらいだった。だって開幕戦、第2戦と2位、1位ですからね。
うちらはそういうのもあって、ホントにSUGOは絶対に勝つんだという気持ちで行っていたので、あれは本当にガックリと来ましたね」