−以上6名の監督&チームエンジニアに、ADVANタイヤ開発エンジニア2人を加え、8人での座談会がスタートします。
まずはチャンピオンのHASEMI MOTORSPORTS・林さんに、2010年のベストレースを選んでいただきました。
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「うちは簡単。最終戦ですよ。関口(雄飛)君とか、後ろでいい仕事をしてくれる人たちがいっぱいいたんで(笑)。うちはただただ頑張って走っただけですね」
金曽裕人さん (apr)
「あと(.9ポルシェの)番場(琢選手)だね」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「何でこんなにいい仕事してくれるんだっていうぐらい。うちは頑張って走っていただけですから。
1か月前にやったテストの時点では、トップだったランボルギーニに1秒以上の遅れをとっていましたから、正直にいえば、うちに権利はないなと思ってもてぎに入ったんです。
そうしたら、ふたを開けてみたら他が思ったより来なくて」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「正直ポールポジションを獲ったこと『いける!』と思いましたか?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「だいぶ有利になったとは思ったね。あとは9番の初音ミクポルシェとランボルギーニに抜かれなければ・・・、という感じ。
逆にすごくいい仕事して抑え込んでくれて、助かった。関口にお礼を言いたいぐらい(笑)」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「もてぎでZは相性が良くないというのが毎年ありましたから。それでもハセミは、GT500の時ももてぎで勝っていましたからね。チームとしてもてぎが得意なのでは?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「全然そんなこともないですよ。あれは救済措置を受けていたという有利な部分もありましたから。
どこも苦手ということでもないんですが、Zはもてぎが苦手だとみんなが言うもので、『そうなんだ』と思いながらテストに行きましたね」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「ノックダウン予選の3回目に行けるということが、僕の経験上あんまりなかったですね」
金曽裕人さん (apr)
「あれ、ぶっちゃけ言ったら全部もうタイヤだよ」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「いやぁ、テストのおかげでいいタイヤができたんですよ」
金曽裕人さん (apr)
「それだけいい仕事するチームが、なぜかセパンでは内圧設定間違っちゃったりしたんでしょ」
河野高男 さん (M7 RE雨宮レーシング)
「あのときはありがとうございました(笑)」
金曽裕人さん(apr)
「さらに、いいタイヤ履いているのに、(鈴鹿では)ハブごと外しちゃうんでしょ(笑)。よくあれでチャンピオン獲ったよなぁ」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「いやいや、皆さんもあちこちでやらかしてらっしゃるから(笑)」
石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「あれ(セパン)は確か、柳田選手も知らなかったんですよね?
ピットロードを出ていくときに『ゴメン!』というそぶりだったので、私も彼のミスだと思っていたんですが」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「彼が走っている時、もう無線では(内圧のことを)言わない方がいいなということになったんですよ。これで火が付いて頑張るから放っておけと(笑)」
金曽裕人さん (apr)
「実際、どれぐらいの内圧だったの?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「全く未調整(苦笑)。お恥ずかしながら」
金曽裕人さん (apr)
「ハセミでもそんなことあるんだ。それでもたしかポイント獲ってなかったっけ?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「おかげさまで、その次に履いたタイヤが素晴らしくて」
金曽裕人さん (apr)
「自作自演じゃないの?」
林 寛幸さん (HASEMI MOTOR SPORT)
「いやいや、それだったらもう少し河野さんのところに近いところでゴールしたかったですよ」