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炭山裕矢選手 番場彬選手 柳澤宏至選手
 
 
1976年・愛知県出身。
'96年にダートトライアルでデビュー、'01年に全日本A4王者。'02年にラリーへと転身、CUSCOの一員になり全日本戦やAPRCに参戦。
世界のラリー競技ヒエラルキーでWRC(FIA世界ラリー選手権)に次ぐ位置づけとなるエリア選手権のひとつがAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)。その名の通りアジアと南半球の環太平洋地域を転戦、強豪達がしのぎを削りあう。
日本から参戦するのは名門・キャロッセのCUSCO WORLD RALLY TEAM。まずは、2010年のアジアカップを制した炭山裕矢選手をご紹介します。
 
 
2010年のAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)、その最終戦となる「チャイナラリー龍遊」。11月5日から7日にかけて中国の浙江省で開催されたこの戦いに、CUSCO WORLD RALLY TEAMからはレギュラーの柳澤宏至選手と炭山裕矢選手がランサー・エボリューション]で、さらに期待の若手である番場彬選手がスイフト・スポーツで参戦した。

炭山選手は初日のシェイクダウンでトップタイムを叩き出す幸先よいラリーウィークとなり、マシントラブルに見舞われる場面もあったがこれを乗り越えて後半ではラリーリーダーとして主導権を握り、堂々のAPRC勢トップでフィニッシュ。そして念願のアジアカップタイトルを手中におさめた。

炭山選手は2010年の戦いについて、まずは次のように振り返った。

「アジアカップとして緒戦となるマレーシアは、初日にデイリタイアを喫して2日目でデイポイントをちょっともらって、決して順調ではありませんでした。次のラリー北海道ではAPRC勢の4位になり、3戦目として予定されていたインドネシアは大会が中止になって。インドネシアについては元々僕は参戦を予定していなかったので影響はありませんでしたが」

優勝を飾った中国はミックス路面のステージ。つまり、グラベル(非舗装路)とターマック(舗装路)の両方がステージ全体に混在している状況である。果たして中国の路面はどんな感じなのだろうか。

「中国はグラベルとターマック、両方の路面が混在するステージもありますが、一方で14kmくらいの長いオールターマックというステージも2日目にはありました。そこは本当にスタートからゴールまでの全てがターマック路面です。
僕は中国でのラリーは3年目なのですが、今回初めてラリーウィークを通じてずっと晴れていました。今までは雨ばかりで、赤土の道なのでものすごく滑って、本当にグリップが低かったのです。
それに対して今年はオールドライ路面でしたが、あんなに大変だとは思いませんでした。路盤が硬くて、日本で言うとハイランドマスターズの八本原林道みたいな感じの路面でしょうか。海外ラリーなのでステージの中でもどんどん路面は変わっていきますが」

中国では珍しいオールドライの路面に、主力勢も含めて苦戦させられたというニュースは大会中にも伝わってきていた。そんな中で炭山選手は進化したマシンと、ADVAN A053の高いパフォーマンスを武器にステージを重ねるごとに存在感を高めていった。
 
 
緒戦は苦しい展開のシーズンスタートとなってしまっていたが、マシンは最終戦の中国に至るまでの間に大きな進化を遂げていた。その過程では全日本ラリー選手権への参戦も行っている。

「中国では、マレーシアの時よりも車は全然良くなりました。具体的にはデフを含めたセッティングの進化です。
去年(2009年)はランサー2台で海外をまわっていないので、国内を走らせる機会がありませんでした。しかし今年(2010年)は榊雅広選手が全日本に出場したり、僕たちも出られる車がほぼ本番車と同じレベルであるので、足まわりにしてもLSDにしても、テストをする機会がたくさんありました」

炭山選手にとっては久しぶりとなった全日本ラリー選手権への参戦。今回のアジアカップ獲得においては、全日本への参戦も大きな意味があったという。

「やはりテストとして丸和オートランド那須のようなコースを走っているだけでは、リアルな競技スピードが判らない部分があります。しかし全日本の本番に出ることで、どこが良いところまできていて、どこは物足りないのか、こうした部分が良くわかりました。
もちろんポンと出て結果を残せるほどに全日本選手権は甘くありません。ハイランドマスターズに出場して思ったのは、ターマックラリーをADVAN A050のような競技用スポーツラジアルタイヤで走るというのは、APRCではやっていない部分なので、こうしたことも積み重ねが大切なのかな、と。他の選手のみなさんは毎戦やっているわけで、タイヤの使い方や足のセッティング、乗り方と、全ての積み重ねで今があるので、そこに僕たちが海外を走っているからと言って加わっても、そんなに速く走れるほど甘くはないんですね。
でも、こうしたことも踏まえた上で、とても良いデータを得られました」
 
 
「チャイナラリー龍遊」のラリーウィークに入り、まずはシェイクダウンでトップタイムを叩き出して快調な滑り出しとなった炭山選手。その後の中国での戦いについて振り返ってもらった。

「1日目の最終ステージに“ブーン”と行ったら、“バスッ”っていってタービンのガスケットが吹き抜けてしまいました。そこから、そのステージはずっとノンターボ状態で走って、30秒くらい遅れてしまいました。
たまたま良かったのが、このステージの次が最終サービスだったこと。サービスに戻って20分くらいでタービンを交換しましたが、あれが一発目のステージだったりしたらと思うと、かなり運が良かったですね」

DAY2に入ると、トップを走っていたチームメイトの柳澤宏至選手が残念ながらトラブルに襲われてしまい、代わって炭山選手がトップに立った。フィニッシュまでは、何を思いながら走っていたのだろうか。

「いつものペースで走りましたよ。海外のラリーは、攻めて行けないところは絶対に行けない。無理なところは徐行するなり、ピタッと止めるなり、メリハリに気をつけて走りました。
変なところでミスをしてリタイアしたりマシンをぶつけたりとか、そういうのは何となく全部自分自身で経験してきました。メリハリ、攻めどころ、抑えどころが判っていなかったんですね。それがようやく、今年くらいになってからかな、『抑えるところは、みんな抑えるんだから』ということで、それはどこなのかということが判るようになってきました」

“攻めどころ”と“抑えどころ”。各国を転戦するAPRCでは、その見極めも難しさを増す。

「例えば中国はしびれる道ですよ。僕が知っているAPRCはマレーシアと中国、インドネシア、ニュージーランドくらいなので、いろいろな国を走ったというわけではないですが、国によってキャラクターというか、個性はありますね。中国は岩山が基本。孫悟空にでも出てきそうなやつですね。
各国の個性的な道は、それぞれに難しさもあります。ターマックは別問題としても、グラベルの土質なんかは日本と違ってひとつのステージの中で路面がコロコロと変わったりします。ここで攻めどころと抑えどころの見極めが大切になってきます」

国ごとの個性について、炭山選手はいろいろな勉強になると語る。

「マレーシアなんかはパームツリーの中を走るのですが、道が分からなくなってしまいそうなんです。本来は道がないところに道を作っているので、ペースノートの作り方が重要だと奴田原選手なんかに教わりました。高速コーナーはマレーシアでは無くて、道幅もラインも狭い感じのステージが続きます。
だから大切なのが距離感。ブレーキングの距離とかですね。国内だと景色の変化でコーナーが迫ってくるのが判りますが、パームツリーだらけの中では全くそれがありません。何にも無いところでストレートがいきなりパキッと曲がったり。
いろいろな道で戦うのがAPRC、それだけに色々な勉強が出来ますね」
 
 
APRCのうち、アジア地区で開催される大会での獲得ポイントで競われるアジアカップ。炭山選手は自身初、CUSCO WORLD RALLY TEAMとしては2008年にディーン・ヘリッジ選手がパシフィックカップを制して以来となるAPRCでのカップタイトル獲得である。

この栄冠獲得を足元で支えたのがADVANラリータイヤ。海外ラリー競技用のADVAN A053である。タイヤについては、炭山選手は次のような印象だと言う。

「ADVAN A053は、国内で使っているADVAN A035とかなりキャラクターが異なるタイヤですね。
剛性が高く、ロングステージで常にタイヤが“揉まれている”ような場面では、圧倒的に耐久性の高さを感じます」

信頼できるタイヤがあるからこそ、“攻めどころ”では思い切った走りを可能とする。
これまでAPRCはもちろんのこと、P-WRC(FIAプロダクションカー世界ラリー選手権)やIRC(インターコントネンタル・ラリー・チャレンジ)など、世界トップレベルのラリーシリーズを戦ってきているADVANの高いポテンシャルが、炭山選手のAPRC・アジアカップ獲得でもまた実証されたことになる。

そしてタイヤと同じく信頼できるパートナーとして炭山選手は、コ・ドライバーの加勢直毅選手の存在を挙げた。

「加勢選手とは昨年からコンビを組みました。とにかく熱い男ですね。物静かなようでいて、かなり熱い。やはり熱くないと、ここまでコ・ドライバーを努めることは出来ないでしょう。
ウチの社長(キャロッセの長瀬努社長)が『ウチの社員になるか』って言って、今では僕とは同僚という関係でもあります。仕事も頑張って、例えばウチのホームページもかなり見やすくなったりしています。
とにかく真面目で熱い男ですよね」


炭山選手にとって、大きな戦績となった2010年のAPRC・アジアカップ獲得。
もちろんこれは炭山選手にとって通過点のひとつ。これからの更なる活躍に、一層の期待と注目が集まる存在だ。



※APRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)については、「奴田原文雄のモータースポーツ漫遊記・マレーシア編」(2010年5月掲載)で詳しくレポートしておりますので、こちらもごらんください!
 
         
 
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