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炭山裕矢選手 番場彬選手 柳澤宏至選手
 
 
1986年生まれ。
2006年のニュージーランドでラリーデビュー。以降、'08年の全日本選手権フル参戦を経て、'10年はCUSCOからスイフトを駆って出場した。
2010年のAPRC・中国、パワーに勝るターボ勢を驚かせたのは日本からやって来た黄色いマシン。
CUSCOから参戦したスイフト・スポーツを駆るのは、期待の若手ラリースト・番場彬選手。
好走を見せた番場選手は堂々の完走でクラスウィナーに輝き、大きな栄冠を手中におさめました。
ラリードライバーとして着実に成長する番場選手、その素顔をご紹介します。
 
 
2010年11月5日から7日にかけて中国で開催された、APRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)の最終戦「チャイナラリー龍遊」。この一戦でひときわ注目を集めたのが名門・CUSCOのロゴマークも誇らしい鮮やかな黄色いスイフト・スポーツだった。

ステアリングを握るのは期待の若手・番場彬選手。2006年に「ラリー・ニュージーランド」に参戦してラリーデビュー、'07年には自ら作り上げたランサー・エボリューションVIIIで「Rally Hokkaido」と「Rally JAPAN」という日本で開催された2つの国際競技会に出場。'08年には全日本ラリー選手権へのフル参戦を果たして実績を積み重ねてきた。
そして2010年、CUSCO WORLD RALLY TEAMの一員となり、スイフト・スポーツの初披露となった全日本開幕戦の唐津を完走。5月にはAPRC枠で出場した「Rally Hokkaido」でクラス優勝を飾り、さらに9月の全日本戦「新城ラリー」に参戦してこちらも完走、そして一年の締めくくりとしてAPRC・中国に参戦する運びとなった。

まずはAPRC・中国に参戦することになった経緯などを、番場選手は語る。

「参戦が決まったのは直前のことでした。チャイナラリーの前に全日本戦の新城(9月24日〜26日)があったのですが、新城が終わってお台場で開催された『モータースポーツジャパン2010』(10月2日〜3日)までの間に決まりました。だからエントリーは締め切りギリギリだったと思います。
『Rally Hokkaido』でクラス優勝出来たことが大きいですし、パーツ開発という側面もありますから。海外ということで走る距離が長く、耐久テストの舞台として良いですからね。ラリーの格式もアジア選手権ということで、露出も大きいので色々な人にCUSCOを知っていただく良い機会にもなりました」

駆ったマシンは前述の通りスイフト・スポーツ。2008年シーズンではランサー・エボリューションで全日本戦に出場していた番場選手、スイフトでのドライビングはランサーとどのような違いがあるのだろうか。

「ランサーと比べると、目については全く問題無いですよね。よりハイスピードなランサーに慣れているので。
絶対的なスピードが速くないということは自分の中にも余裕が生まれてきていて、色々と考える時間がいっぱいありました。中高速コーナーが主体のチャイナでも狭くてタイトなコーナーが多くて忙しいところがあったりしたのですが、ランサーよりも考える時間がとても多くて『ここは、こうやって曲がっていこう』とか、『こういう風に曲がるには、どうしたら良いのだろう』と考えて走れました。
チャイナはとにかく完走しなければならなかったので、根石とかを全部避けながら走ったんです。そういう意味では本当にタイムを突き詰める走りでは無かったのですが、自分にとっては本当に良い勉強になりました」
 
 
もう少し具体的に番場選手にチャイナの路面や大会がどのような雰囲気だったのかを聞いてみよう。

「レッキで見たときには、意外と僕の嫌いな路面ではないなと思いました。でも、尖った根石が多くて、どんなタイヤであろうともパンクには気をつけなければならないと思いました。路面そのものは凄く硬くて、思ったよりも掘れませんでした。だからクルマへの入力も大きくて、色々な消耗も国内ラリーよりは大きかったと思います。
レイアウトとしてはチャイナは踏んで行ける中高速コーナーが多くて楽しいんです。国内ラリーは目一杯にスピードを殺してヘアピンを曲がる、というイメージが強くて。僕自身の経験が少ないこともあるのですが、中高速コーナーだと自分の思い通りにクルマを操れて、ペースも上げられる印象。
中国のラリーが持っている全体的な雰囲気も僕が好きな感じで、いつも以上にモチベーションが上がって集中できる環境に持っていくことが出来ましたね」

メンタル的な部分でも良い状態で臨んだチャイナラリー。序盤から格上のN4クラスに割ってはいる速さを見せて注目を集めた番場選手は、安定した走りを見せた。
終盤ではドライブシャフトのトラブルにも見舞われたが、コ・ドライバーの保井隆宏選手とともに車載パーツに交換して戦いを続行。
結果、N2クラス優勝となる総合14位でフィニッシュ。参加した半数近くがリタイアを喫するという難しいラリーで見事な成績を残した。

「N4勢の中盤には入りたいと思っていました。また、同じFF(前輪駆動)勢の中国国内選手権とも一緒に戦っていたので、そこには負けたくないな、と。彼らも相当に力を入れていたので、戦い甲斐がありましたね」

こう戦いを振り返った番場選手。ところで「Rally Hokkaido」でデビューしたマシンは、チャイナに向けてどのようにセッティングされたのだろうか。

「それが、エンジンコンピューターをちょっとトルクフルにしたくらいで、あとはほとんどそのままだったんです。セッティングという意味では、減衰の伸びを数クリック回したくらい。中高速コーナーに対しては、北海道の時点でほぼ完全に仕上がっていました。だから始めからセッティングで悩むことは無かったですね。
やはり、チームの中にそれぞれのパーツに対する専門的な人がいて、分からないことがあっても聞けばすぐに答えが出るというのは、ドライバーとしてとてもやりやすいです。CUSCOというチームの大きな力だと思いますね」
 
 
CUSCOというチームの大きな力を改めて感じたと語った番場選手。国内外のラリーのみならず、多彩なモータースポーツフィールドで幾多の輝かしい戦績を残してきたCUSCO、その一員としての自覚も高いレベルで芽生えてきているようだ。

「普通ではなかなか無い環境で、これまでラリーが出来ていると自分でも思います。でも、そこで『恵まれているなぁ』と思うだけではなくて、もっともっと自分を磨ける環境にあることが解るので、プレッシャーというよりも前進のし甲斐があるという感じですね」

CUSCO WORLD RALLY TEAMでは、柳澤宏至選手や炭山裕矢選手という、経験豊富な“兄貴分”がいる。その末弟にあたる番場選手、当然ながら二人の“兄貴”から学ぶものは大きいという。

「柳澤さんや炭山さんから教わることは多いですね。隣に乗せてもらえる機会も多いので、ドライビングについてはもちろん色々と教わっています。
今回のチャイナにしても、レッキが終わった後に『こういう場合はどうするんですか?』なんていう話も出来ますし。クルマのことについても、パーツやマシンの開発をしている方々なので、話の内容もとても新鮮で勉強になります」

CUSCOという名門チームで色々なことを学び、吸収しているという番場選手。クルマについては柳澤・炭山の両選手のみならず、卓越した技術と経験を有するチームスタッフに教わることも多いという。

「例えばセッティングにしても分からないことがあって、分からないままにしておくとやっていても仕方ないと思って、どんどん聞くようにしています。サスペンションを作っている人に『減衰と伸びと圧を変えると、どうなるんですか?』というような基礎的なことを教わってみたり。こうしたことを2010年はやってきたので、それは僕にとって相当に大きな収穫でした。
FFも僕にとっては初めてのドライブだったこともあって、初心にかえってやったシーズンという感じですね」
 
 
ラリーデビューから5年を経て、着々と実力をつけてきている番場彬選手。
前述のようにチームに二人の“兄貴分”と言えるドライバーもいるが、実兄の番場琢選手はSUPER GTなどで活躍しているレーシングドライバーだ。

「最初の頃は『琢の弟』と言われることにちょっと抵抗があったりもしました。いつかはお兄ちゃんが『彬の兄』と呼ばれるようになってやる、って思っていましたね(笑)。でも、今は兄のことをとても尊敬しています。レースとラリーでフィールドは違いますが、兄弟で話をする機会も多くて、クルマやドライビングについて教えてもらうこともあります」

番場選手について、最後に“もうひとつの顔”をご紹介しておこう。それはバイオリンを作る職人の修行をしている身であるということだ。
お父さんの番場順さんは世界的なバイオリン職人で、テレビ番組などでその活躍が伝えられたこともある。
番場選手は現在、お父さんの下でバイオリン制作の修行中なのである。

「バイオリン作りは、父がやっているのを見ながら色々と教わっています。
作業にはもの凄い集中力が必要。バイオリンは木を削って作りますが、一度削った木は元には戻らないので。無垢の一枚板から形を作っていくのですが、厚みをどのくらいにするかなどは自分で考えながらやるのです。しかし、あまり恐る恐るやっていては時間ばかりかかって商売にならない。スピードと正確さと集中力が高いレベルで求められるものです」

スピードと正確さと集中力。これはまさにラリーにも通じるものではないだろうか。

「そうですね、バイオリン作りもラリーも、自分自身との戦いでもありますし。
バイオリン作りに設計図というものは基本的にありません。最終的には自分の感覚や経験によります。例えば父はストラディバリのような名器のイミテーション製作もやっていますが、昔の楽器の資料があって忠実に寸法を再現することは可能です。でも、同じ寸法にしても同じ音は出せません。使っている木が違いますし、木の締まり具合の差もある。だから、それを見越して厚みを変えたりして同じ音が出せるようにするのです」

自らの技術を経験で高めていき、かたちにしていく。バイオリン作りとラリーには、共通項も多く垣間見ることが出来そうだ。

「集中して仕上げて、最後に形になって音が出る。バイオリン作りは本当にやり甲斐がありますね。
それと同じようにラリーは、僕にとってこれ以上に楽しいって思えるものが無いくらいの存在。自分の中で『もっとこうしたい』というのがあって、頑張ると必ず結果になって返ってくるものなのです。それが自分の自信にもつながっています」

ラリーとバイオリン作り、ともにこれからの一層の飛躍を期待されている番場彬選手。
日本を代表するラリードライバーへの道のりはまだまだ長く険しいものだろうが、一歩一歩確実に前進を続けている番場選手ならばどんな苦難をも克服して、大きく成長してくれるに違いないだろう。
 
           
 
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