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[Vol.1] 2010年、自身4回目のマカオに挑戦 波乱の決勝を制して表彰台の中央に!
子供の頃に抱いた“憧れ”をかたちに ADVANとともに戦う“プライド”
     
自身4回目のマカオグランプリ出場。ギア・レースに2回、WTCCで1回、そして今回優勝を飾ったロードスポーツ・チャレンジ。
ご承知の通りマカオは一般公道を閉鎖した特設コースで競われる一戦。両サイドをガードレールに囲まれているためエスケイプゾーンは事実上皆無というアグレッシブかつチャレンジングなコースである。
その経歴から“ストリート出身”とも言えるレーシングドライバー・織戸学選手。織戸選手にとってマカオは、他の一般的なサーキットコースとは違う“何か”があるのだろうか。


「やっぱりありますね、それは凄く。
マカオっていうのは僕がレースを始めた頃から常に目標にしていたレース。初めて参戦することになる前にも見に行ったことがあるのですが、その時は『こんなところでレースをやるなんて、凄いなぁ』という驚きを感じました。
それが2000年にアルテッツァでマカオに初めて参戦するチャンスをもらって、実際に走ってみて『やっぱりマカオは凄いな』と、改めて実感しました」



2000年、アルテッツァでマカオグランプリのギア・レースに初めて参戦した織戸選手。当時のことで記憶に残っているエピソードを紹介してもらった。

「初参戦のことは、とても良く覚えていますよ。
僕が出場したギア・レースというのは今で言うWTCCみたいなもので、シュニッツァーのBMWワークスチームなんかも参戦していて賑やかでした。僕たちはアルテッツァを持ち込んだのですが、当時のギア・レースはタイヤが車種を問わず全て15インチとなっていたんです。アルテッツァは17インチだったので事前に相談して主催者から17インチのままでOKと言われていたらしいのですが、いざ現地に行ったら『100kgのウェイトを積みなさい』って言われて。
ウェイトなんか用意していなかったので、スタッフみんなで探し回るのが大変でしたね。
あと、初めてコースインしたのはウェットコンディションでした。雨の中で走り始めてみて『あ、これなら楽勝だな』なんて思って。2周目からちょっとペースを上げたら、いきなりクラッシュしてしまいました(笑)」


4回の参戦で優勝の栄冠を手中におさめた織戸選手。マカオ攻略に必要な要素を聞いてみた。

「変な意味でテンションを上げすぎるとダメですね。
何年も走っている人はコースも理解していますが、それよりも一番大切にしているのがコンディションについて。マカオはストリートコースということもあって、走り初めのうちは路面が埃だらけでグリップが低いんです。でも、黙っていてもグリップは時間とともに上がってくるので、分かっている人は最初から無理をしないですね。
レースウィーク全体を通じてみれば、予選の頃には路面コンディションが良くなっているので、そこに対してのクルマの持っていき方とセッティングの詰め方が大切ですね」



※写真は2001年にアルテッツァでギア・レースに出場したときのもの。
 
     
SUPER GTやスーパー耐久など国内のレースシーンのみならず、マカオグランプリをはじめとした海外でも活躍を見せてきている織戸学選手。
そもそもレーシングドライバーになろうと思ったその源流は、どこにあったのだろうか。

「小学校2年生くらいの頃から、レーシングドライバーへの憧れは持っていました。
その頃、テレビで流れていたタバコのコマーシャルに有名なレーシングドライバーが出演していて、それを見て『格好良いな』と思ったんです。あとは、これもテレビですが当時は『グランプリの鷹』や『サーキットの狼』といった、レースやクルマを題材にした漫画をやっていたりして、こういうものを見て憧れが強くなっていきましたね」


子供の頃からクルマが好きだったという織戸選手。自転車で駆け回っていた小学生や中学生の“織戸少年”が最初に好きになったクルマは意外にもスポーツカーでは無かったと言う。

「小さい頃はキャディラックとか大きいクルマが好きだったんです。そのうち、僕が中学生になるころに兄貴がクルマに乗るようになって。ちょっとヤンチャな友達なんかが、スカイラインやローレルなんかで遊びに来ていたりして、だんだんとそういうクルマが格好いいなと思うようになっていきました。当時のハコのレーシングカー、例えばシルエット・フォーミュラなんかは、ヤンチャなクルマと紙一重っていう感じだったりもしましたよね。

あと影響を受けたのはスーパーカーブーム。小学校3年から4年くらいの頃でしたが、消しゴムを集めたり、どこかのデパートに展示されていると聞いたら見に行ったりしていました。
好きだったのはランボルギーニのカウンタック。やっぱり、あのガルウィングドアと低いボディが最高でしたね。ちなみの後年、20歳を過ぎてから僕の友達がカウンタックを買って、乗せてもらったことがあるんです。そうしたら『これは、僕はいらないわ』って思った。あれでトップスピードにチャレンジなんかしろって言われたら、死ぬ覚悟が必要ですよ(笑)」
 
     
レーシングドライバーへの憧れ、そしてクルマに対する思いを抱き続けていた織戸選手は、自動車整備の専門学校に入ってクルマについて学ぶようになった。

「専門学校に入ったときにバイクのレースをやろうと思って、自分でライセンスを取って筑波サーキットを走ったりしていました。この頃はクルマへの興味は薄れて、頭の中はバイク一色という感じ。
そのうち、学校に誰かが峠のビデオを持ってきて、それをみんなで見たときに『スッゲーな、こんな風に自分もクルマを走らせてみたいな』って思って、このころからクルマにまた傾いて行ったかな」


有名なレーシングドライバーの走りを映像で見て、再び熱くなったクルマで走ることへの思い。ちなみに織戸選手、運転免許を取って最初に手にしたクルマとは何だったのだろうか。


「一番最初の愛車はフェアレディZ。1台目だけは親父に買ってもらえるという、うちのファミリーのしきたりがあって手にしました。でも、速さには興味はあったけれど、まだクルマはナンパの道具っていう感じだったかな(笑)。
それがさっき話したビデオを見て、すぐにZを売ってAE86に買い換えて、そこからですね本格的にクルマを運転する練習を始めたのは。周りも一時期は猫も杓子もバイクっていう感じだったのが、みんなこのころに一気にクルマに乗り換えていましたよ」


自らクルマで走ることに目覚めた織戸選手。その後、ある“実体験”が、その思いをいっそう加速させることになる。


「学校なんかで勉強していたんで、能書きだけはあって。AE86にはLSDを自分で組んで取り付けたりしていました。
そのうち、中学校の頃に『一緒にレーサーになろうぜ』なんて言っていた友達に再会したら、彼が当時ジムカーナをやっていたんです。隣に乗せてもらったらスピンターンなんかをされて、『うわ、スゲーな』って思った。
それから一緒に練習なんかにも行くようになって、すっかり夢中になりましたね」


この後、自らのドライビングテクニックを磨いていった織戸選手は、注目を集め始めていたドリフトの世界で頭角を現していき、雑誌社主催のイベントにおいて全国大会チャンピオンを獲得するなど、その名を知られる存在になっていく。
その歩みは同時にレーシングドライバー・織戸学選手誕生へのステップともなっていった。

             

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