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谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー 谷口行規選手・WTCC記念インタビュー
 
 
 
YUKINORI TANIGUCHI PROFILE
■谷口 行規 選手
1968年・広島県生まれ。
16歳からゲームプログラマーとしての活躍をはじめ、大学在学中の'93年に大阪でユークスを設立。プロレスを題材としたゲームでミリオンセラーを記録するなどして、'01年には株式を上場。'05年にはプロレス団体を傘下におさめ、ビジネスマンとしての活躍は多方面から注目を集めている。
2002年に鈴鹿クラブマンレースでドライバーとしてレースデビュー、以降スーパー耐久やシビックワンメイクレース、全日本スポーツカー耐久などに参戦。'08年の日本ラウンドでWTCC初参戦を果たし、'10年はバンブー・レーシングからシボレー・ラセッティでドイツ、スペイン、日本、マカオの4大会に出場。
 
 
WTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)で日本人初のインディペンデントトロフィー優勝という栄冠を手中におさめた谷口行規選手。これまでもシビック・ワンメイクレースやスーパー耐久など国内レースシーンで活躍を見せてきた谷口行規選手だが、レースデビューは2002年なのでキャリアは8年目ということになる。

「2002年の12月に初めて鈴鹿のクラブマンレースにEG6型シビックで参戦したのがデビューでした。その時はフルグリッドぐらいの台数がいたのですが、20番台のグリッドからスタートしました。
ちょっと雨が降っている中でスタンディング方式で『用意、スタート』とやって、1コーナーを曲がって2コーナーに差しかかったところで前の車が他車と接触してスピン。そこに『ドカーン』と衝突して、終了してしまいました」

ほろ苦いレースデビューとなった鈴鹿。
ここで谷口行規選手の幼少時代まで時計を巻き戻してみると、そこにはヨーロッパのスーパーカーに憧れを抱いていた一人の少年像が見えてくる。

「スーパーカー・ブームの世代ですから、いつかランボルギーニ・カウンタックに乗りたいな、とは思っていました。フェラーリじゃなくてランボルギーニなのは、ドアが上に開くからじゃないですかね(笑)。やっぱりカウンタックがスーパーカーの王様、というイメージがあるんですよ。
ラジコンとかプラモデルとかで遊んだりと、いわゆる普通のスーパーカー世代でした」
 
 
日本列島を席巻したスーパーカー・ブーム。谷口行規選手は実際に自らの手で車を運転出来るようになった時、やはりスーパーカーへの憧れを自らの車選びに反映させていた。
ただ、この頃は日本中がF1ブームに沸いていた時代でもあったが、そんな中でモータースポーツには特に強い興味は無かったという。

「運転免許を取ったのは19歳の時。最初に乗った車はS12の日産シルビアでした。リトラクタブル・ヘッドライトへの憧れもあったので(笑)。たまたま中古車屋さんで日産の記念限定モデルがあって、『あ!これ、惚れた!』って。でもホイールを換えたくらいで、あとはノーマルで乗っていました。
その次に買ったのは三菱GTO。やっぱりリトラクタブル・ヘッドライト。デビューしたばっかりの頃でツインターボを買いました。
でも、F1なんかはニュースで見るくらいで、レースにそんなに興味は無かった。『レースって、みんなぶつかって危ないんじゃないの?』なんて思っていたくらいですから(笑)」

皆さんご存じの通り、谷口行規選手はゲームソフト開発メーカー「ユークス」の創業経営者として活躍を続けている。
谷口行規選手の2台目の愛車となったGTOには、ビジネスの成功と関係したストーリーもあった。

「GTOは会社をやり始める前に買ったのですが、24歳でユークスを創業して、2年目くらいでプロレスのゲームを作ったら予想外に売れました。十数人の会社だったのですが結構な利益が出て、中には『好きなスーパーカーでも買えばいいんじゃない?』という声もありました。
でも、会社を立ち上げた時にみんなに『8年で上場しよう』と公言していたんです。その目標があったのでスーパーカーは買いませんでしたが、やっぱり自分へのご褒美もあって良いかなと思い、GTOをチューニングすることにしたんです。ランボルギーニくらうのパワーにしてやろう、と。近所にあるチューニングショップに持ち込みました」

スーパーカーに憧れ、スポーツモデルを愛車としてきた谷口行規選手だったが、実は意外にもモータースポーツにはそれほど興味が無かったというのは前述の通り。
しかし、そんな谷口行規選手にモータースポーツへの興味を持つきっかけが訪れる。それは本業のゲーム開発からであり、キーマンとなったのが山田英二選手だった。

「そもそもレースに興味を持つきっかけになったのが山田英二選手でした。うちの会社でレースを題材とした『エディット・レーシング』というゲームを作ることになったんです。
そこで車の音を録音しようということになったのですが、きちんとエンジンを上まで回して走りながらでないと録音が出来ません。そうなるとサーキットを借りてプロドライバーに運転してもらう必要があったので、その時にお願いしたのが山田選手だったんです」
 
 
あくまでも仕事の題材であったモータースポーツ。そして、仕事の一環としてサーキットに足を運んだ谷口行規選手は、山田英二選手と出会うことになった。
そして山田英二選手によって、今までの人生で一度も経験したことのない“楽しさ”を全身で感じることになる。

「その時に運転してもらったのは僕の持っていたGTO。チューニングしてかなりのビッグパワーだったので、僕自身は恐る恐るアクセルを踏んでいたような感じの車です。
自分の中では“ちょっと危険なもの”くらいに捉えていたのですが、山田選手に運転してもらって自分が助手席に乗ってみて。ピットロードからアクセル全開で、1コーナーにズバーンと。助手席に乗っている自分としては『ああ、もうコーナーがそこにあるのに!ブレーキ、ブレーキ!』っていう感じで。そうしたらリアを流してシュワーッと立ち上がって行って、自分の中では『あ、曲がった!』って。
3周くらいしてもらって、山田選手に『どうやって、やるんですか?』と聞いて、アドバイスしてもらいました。自分で出来る訳はないんですけれどね。
これが2001年の話だったと思うのですが、この時に『車ってこんなに楽しいんだ!』と開眼しました」

初めて乗ったプロドライバーによるサーキットドライビング。
普段から自らが操っている愛車、そのポテンシャルを最大限に引き出しての走りに、車の持つ楽しさを発見した谷口行規選手。今度は自らスポーツドライビングを実践するべく、サーキットへと足を運んだ。

「山田選手の横に乗った後、自分でサーキットに行ってみました。モーターランド鈴鹿ですが、雨上がりだったけれどGTOは4WDだし大丈夫だろうと走り始めたんです。
ところが走っているうちに、両面テープがはがれてターボタイマーか何かが落ちてしまった。これがいたずらしてブレーキを踏めなくなって、ダートに出たらそのまま氷のように滑って山の壁にドスーン。
車のダメージが大きかったのですが、チューニングしてくれた店の人に取りに来てもらったら『修理するのに60〜70万円かかりますよ』と。それなら直そうかと思ったのですが、ついでだからと『この車、もうちょっと曲がるように出来ませんか?』と聞いたら、『無理です』と」

初めてのサーキット・ドライビングはまさかのアクシデント。
大きな怪我など無かったのは幸いだったが、このアクシデントは谷口行規選手にとってひとつのターニングポイントとなる。

「どうしようかと思っていたら、『もっと曲がって楽しい車がありますし、修理代よりも安く買えますよ』と勧められたのがEG6型のホンダシビック。足回りとマフラー、コンピューターなどを換えてある車で、これを買ったのです。ところがこの年に会社を上場して、その前後というタイミングだったので車で遊ぶ暇がまったくなかった。
お金は払ったけれど店には長く顔も出せずにいたら、『いい加減に取りに来てください』という電話が来たので、店に行きました。そこで色々話しているうちに、サーキットだけで楽しめるレース専用車の方がいいんじゃないか、という話になって、ロールゲージなども装着されてレース仕様になっている別のEG6・シビックの方を買うことにしました。
でも公認レースに出場したいという訳ではなく、『走行会にでも参加できればいいなぁ』という程度でした」

こうしてシビックのレース仕様車を手に入れた谷口行規選手。
山田英二選手のナビシートで味わった“車の楽しさ”を、今度はドライバーズシートで自らステアリングを握って感じることになる。

「2002年の6月にレース仕様のEG6・シビックでサーキットを初めて走りました。その時の印象は『すごく楽しい』。で、2回目に行ったら、今度はエンジンを壊しちゃって。でも、タイム的には初めてにしては良かったと言われました。それで山田選手に『サーキットに行って走ったんですよ』って言ったら、だんだんとレースに出場しろ、というような話になってきて。
車を買った店もレースをやっていて、『出場しても、そこそこ行けるタイムですよ』と言われたりもしたので、『じゃあ、やってみようか』ということになりました。それで頻繁に時間を作っては練習して、鈴鹿でのレースデビューに至ったんです」


【第4回(2010年12月3日掲載予定)につづく】
 
 
             
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