あくまでも仕事の題材であったモータースポーツ。そして、仕事の一環としてサーキットに足を運んだ谷口行規選手は、山田英二選手と出会うことになった。
そして山田英二選手によって、今までの人生で一度も経験したことのない“楽しさ”を全身で感じることになる。
「その時に運転してもらったのは僕の持っていたGTO。チューニングしてかなりのビッグパワーだったので、僕自身は恐る恐るアクセルを踏んでいたような感じの車です。
自分の中では“ちょっと危険なもの”くらいに捉えていたのですが、山田選手に運転してもらって自分が助手席に乗ってみて。ピットロードからアクセル全開で、1コーナーにズバーンと。助手席に乗っている自分としては『ああ、もうコーナーがそこにあるのに!ブレーキ、ブレーキ!』っていう感じで。そうしたらリアを流してシュワーッと立ち上がって行って、自分の中では『あ、曲がった!』って。
3周くらいしてもらって、山田選手に『どうやって、やるんですか?』と聞いて、アドバイスしてもらいました。自分で出来る訳はないんですけれどね。
これが2001年の話だったと思うのですが、この時に『車ってこんなに楽しいんだ!』と開眼しました」
初めて乗ったプロドライバーによるサーキットドライビング。
普段から自らが操っている愛車、そのポテンシャルを最大限に引き出しての走りに、車の持つ楽しさを発見した谷口行規選手。今度は自らスポーツドライビングを実践するべく、サーキットへと足を運んだ。
「山田選手の横に乗った後、自分でサーキットに行ってみました。モーターランド鈴鹿ですが、雨上がりだったけれどGTOは4WDだし大丈夫だろうと走り始めたんです。
ところが走っているうちに、両面テープがはがれてターボタイマーか何かが落ちてしまった。これがいたずらしてブレーキを踏めなくなって、ダートに出たらそのまま氷のように滑って山の壁にドスーン。
車のダメージが大きかったのですが、チューニングしてくれた店の人に取りに来てもらったら『修理するのに60〜70万円かかりますよ』と。それなら直そうかと思ったのですが、ついでだからと『この車、もうちょっと曲がるように出来ませんか?』と聞いたら、『無理です』と」
初めてのサーキット・ドライビングはまさかのアクシデント。
大きな怪我など無かったのは幸いだったが、このアクシデントは谷口行規選手にとってひとつのターニングポイントとなる。
「どうしようかと思っていたら、『もっと曲がって楽しい車がありますし、修理代よりも安く買えますよ』と勧められたのがEG6型のホンダシビック。足回りとマフラー、コンピューターなどを換えてある車で、これを買ったのです。ところがこの年に会社を上場して、その前後というタイミングだったので車で遊ぶ暇がまったくなかった。
お金は払ったけれど店には長く顔も出せずにいたら、『いい加減に取りに来てください』という電話が来たので、店に行きました。そこで色々話しているうちに、サーキットだけで楽しめるレース専用車の方がいいんじゃないか、という話になって、ロールゲージなども装着されてレース仕様になっている別のEG6・シビックの方を買うことにしました。
でも公認レースに出場したいという訳ではなく、『走行会にでも参加できればいいなぁ』という程度でした」
こうしてシビックのレース仕様車を手に入れた谷口行規選手。
山田英二選手のナビシートで味わった“車の楽しさ”を、今度はドライバーズシートで自らステアリングを握って感じることになる。
「2002年の6月にレース仕様のEG6・シビックでサーキットを初めて走りました。その時の印象は『すごく楽しい』。で、2回目に行ったら、今度はエンジンを壊しちゃって。でも、タイム的には初めてにしては良かったと言われました。それで山田選手に『サーキットに行って走ったんですよ』って言ったら、だんだんとレースに出場しろ、というような話になってきて。
車を買った店もレースをやっていて、『出場しても、そこそこ行けるタイムですよ』と言われたりもしたので、『じゃあ、やってみようか』ということになりました。それで頻繁に時間を作っては練習して、鈴鹿でのレースデビューに至ったんです」
【第4回(2010年12月3日掲載予定)につづく】