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HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.80 News Index
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WEST JAPAN CHAMPION
 
West Japan Champion Profile
■花岡 翔太 選手 =Shota Hanaoka=
1987年・千葉県出身。
5歳でポケバイを始め、10歳の時にポケバイの全日本チャンピオンに輝く。翌年からレーシングカートに参戦、デビューレースでのポール・トゥ・ウィンを皮切りに2年連続で新東京/茂原と二つのコースで行なわれていたシリーズでダブルチャンピオンを獲得。
一時期モータースポーツ活動から離れたが、高校卒業を機にFJ1600で4輪レースデビュー。FTRS(フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクール)受講やFCJを経て2008年からはF4に参戦。二年連続の西日本シリーズチャンピオンに輝くとともに、日本一決定戦も連覇した。
 
 
 
2008年のF4西日本シリーズチャンピオンでもある花岡翔太選手は、09年もF4に挑むにあたり、自らにハンデキャップをつけていた。日本一決定戦と最終戦以外は旧車で走り、しかも練習ではニュータイヤを装着しないという。
狙いとしたのは、自らのスキルを上げることと、勝って当たり前という周囲からの印象を取り去るためだ。
ある意味、茨の道。だが、それに打ち勝ってシリーズのみならず、日本一決定戦も連覇。最大の目標としていたグランドチャンピオンはおろか、MVP賞まで獲得し、F4のタイトルを総なめにした。その花岡選手は09年を充実の1年間だと振り返ってくれた。
−チャンピオンを獲った翌年に、またF4を戦うという、今までになかった試みの2009年。
  自信とプレッシャー、どちらの方が大きかったですか?

花岡選手
「カートからずっとレースをやってきているんですが、一回自分がチャンピオンを獲ったカテゴリーで、またもう1年やるっていうのは、やっぱりプレッシャーかかるんですよ。勝って当たり前だし、他に比べて成長の度合いというか、例えば開幕戦とかはみんなタイム出なくても、最終戦にはまとめてくるじゃないですか。
そういう部分でまわりが上がってきたから抜かれちゃうというのは、僕が成長していないということになりますからね」


−それでハンデキャップを自分でつけてみたという・・・。

花岡選手
「もちろん、自分のスキルアップを兼ねた、というのはあるんですけどね。
練習でタイヤが古い分のタイム差は平均して1秒ありました。でも、その差を気にせず、むしろセットアップの方を練習では重視していたので、そういう部分ではだいぶ良くなってきたと思います。
そうはいってもいきなり予選で新品タイヤを履くと、どういう動きをするか未知の部分もあるんで、誤差が出ちゃったことも正直言ってありました。トラブルもあったんで、予選はそんなに良くなかったんですけど(苦笑)」


−でも、しっかり決勝は順位を上げて、西で3勝、東も2戦出て1勝。
  合わせて日本一決定戦でも勝ちました。

花岡選手
「そこですね、自分の中でもすごく成長できた部分だと思うのは。決勝までには何とかまとめることができましたから。
予選が悪くても、決勝で順位を上げられると思えるのは、特にメンタル面が強化されたからじゃないかと」


−スーパー耐久を併せて戦ったことは影響している?

花岡選手
「正直言って、開幕の頃は先入観なんでしょうか、F4から来るドライバーはダメだと小川(日出生)さんから思われていたようですが、第2戦で頑張ったら評価してもらえて、すごく。
攻めるだけでなく、守るというか待ちの姿勢も必要なレースでしたから、メンタル面も含めてドライビングに幅が出たという自覚はあります。だから、いろんな意味で大成功だった1年間だといえるでしょうね」


−そういった要素、結果、内容すべてが評価された2009年。
  グランドチャンピオンどころかMVP賞までいただけました。

花岡選手
「グランドチャンピオンは何としても獲ろうと思っていたんですが、MVPはフレッシュなドライバーが対象なので、僕は2年目だから近藤(翼)くんがもらうものだと思っていたので、ちょっと意外で嬉しかったですね。僕もまだフレッシュだと認めてもらえたし(笑)」


−そういう意味では、まわりから見ても最高のシーズンだったと思います。
  最終戦も勝てれば、もっと良かったんでしょうけどね。

花岡選手
「あれはトラブルで、クラッチのオイルラインが漏れていたみたいなんです。それでスタートでうまくミートできなかったというのが後で判明して。確かに新車(ウエスト096)で最初に勝ちたいというのがあったんで、それは残念でしたけどね」


−どうでしょう、今後のことは・・・。

花岡選手
「スーパー耐久は引き続きRSオガワから声をかけてもらっていて、こちらは大丈夫だと思っています。でも、現実問題としてフォーミュラで上がっていきたいという希望もあるんで、F3をやれるなら、それ一本で・・・とも。
どうなるか分からないんですが、レースができないにせよ、フォーミュラでは練習し続けて、ブランクを作らないようにするつもりです」
最後の言葉にあったRSオガワからスーパー耐久に・・・という話題だが、昨年にも増して、力が発揮できる体制になるそうだ。となれば、一躍チャンピオン最有力候補に!
もちろんカテゴリーは異なるものの、チャンピオン請負人としての評価を得られるようになって欲しいという思いの一方で、フォーミュラでのステップアップの夢も決して捨てて欲しくない。
それは花岡選手のレースを見続けてきた者、すべてに共通する意識ではないだろうか。


EAST JAPAN CHAMPION
 
East Japan Champion Profile
■近 藤  翼 選手 =Tsubasa Kondo=
1989年・新潟県出身。
2007年にレーシングカートのマスターズ4ストロークでモータースポーツ参戦を開始、同年東地域のシリーズ3位を獲得。
あわせてZAP SPEEDのオーディションに合格、翌2008年のFJ1600日本一決定戦でレースデビューを果たしファイナルで3位表彰台に輝く。
2009年はF4にステップアップ、東日本シリーズで6戦中3勝を飾ってシリーズチャンピオンを獲得した。
 
 
 
四輪レース歴、わずかに1戦。
カートレースでのモータースポーツ経験はあるにせよ、デビューレースとなった2008年のFJ日本一決定戦で、いきなりクラス3位の実力は、むしろよりパワフルで、よりレーシングカーであるF4で遺憾なく発揮された。
開幕戦でF4デビューウィンを達成、その後はチームメイトでもある森下陽介選手と激しいバトルを繰り広げ、同点トップで最終戦に臨むことに。先にゴールした方がチャンピオンという厳しい戦いを制し、悲願のタイトルを獲得。激動の2009年を振り返ってもらった。
−何と言っても、2009年のレースで一番インパクトがあったのは、F4のデビューウィンだと思うのですが?

近藤選手
「実のことを言うと、ほとんどレース前日の練習走行から、ぶっつけ本番みたいな状態でやっていたんです。もともともてぎは、ずっとFJで練習していたこともあって、得意なコース。そのもてぎで開幕だったというのは、助かったというか。あそこで優勝できて、ちょっと自信がついた・・・、ちょっとどころか実際にはかなり大きかったですね」


−では、その他のコースでは・・・。

近藤選手
「走ったことがなかったです。いつもぶっつけ本番(苦笑)。
それでも前日に1、2本(練習で)走って、それなりにタイムが出ていましたから、もてぎでは3戦全部、筑波やSUGOでもポールポジションを獲れましたんで、スピードには満足のいく1年だったと思います」


−その中でも、特に印象に残るレースは?

近藤選手
「やっぱりSUGOでの第4戦だと思います。
その前の富士ではやられちゃった、花岡(翔太)選手にも勝てたんで、それがすごく自信になりました。その勢いでシーズンを戦って、チャンピオンが獲れたのかな、と思いますから」


−そう考えると、すべて順調なシーズンだった・・・。

近藤選手
「いや、そうとも言い切れないですね。予選には満足していますが、決勝レースの組み立てというか、タイヤの使い方が。最初の頃は振り回していたので、すぐタイヤをダメにしちゃいました。
それでも経験を重ねていくうちに、決勝でも速いペースを維持していけるようになったので、そのあたりは自分でもかなり成長したのかな、という意識はありますね!
でも、現実問題としてクルマの動きとか、最初のうちはかなり苦労していたんですよ」


−チャンピオンを決めた直後のF4日本一決定戦も3位。
  初めてのコースだったことを考えれば、100%満足はしていないでしょうが、納得はしているんじゃないですか。

近藤選手
「いや、まったく。評価してもらえたことは嬉しいのですが、自分は日本一しか狙っていなかったので・・・。
岡山では事前に1回練習できたのですが、それでも十分じゃなかった。もっとしっかり練習しておいて、地元の方々と同じ位置からスタートできていたなら、という後悔ばかりです」


−最後に、2010年の予定を。

近藤選手
「まだ何も決まっていないんです。第1希望はFCJだったんですが、それがちょっと・・・。今はチームの方と相談しているところで、海外のレースも考えています。資金的なこともあるんで大変なんですけど、これからもうひと踏ん張りしてきます!」
後日伝わってきた情報によれば、近藤選手は中国・珠海サーキットでフォーミュラルノーのテストを行い、初めて操るマシン、初めて走るコースでありながら高い適応力を見せて、関係者の高い評価を得たという。当然、視野に入れている海外レースとは、フォーミュラ・ルノーアジアシリーズのはず。
F4で型にはまらぬ走りを見せた近藤選手のこと、きっとチャンスをつかめば、新天地でも大暴れしてくれることだろう。期待せずにはいられない。
ADVAN ENGINEER TALK
 
今年、F4で新しくなるのは、シャシーやエンジンのレギュレーションだけではない。ADVANが供給する「指定タイヤ」にも、スペック変更が実施されることになったのだ。
その内容、そしてどのような効果をもたらすのか、横浜ゴムのの八重樫剛エンジニアに聞いてみるとともに、開発テストを担当したドライバーのひとり、仁木圭之選手に印象を語ってもらった。


F4 Driver
■仁木 圭之 選手 =Keishi Niki=
1985年・埼玉県出身。
2006年、富士FJ1600でレースデビュー。翌2007年はもてぎシリーズに参戦、開幕から三連勝をポール・トゥ・ウィンで飾り、堂々のシリーズチャンピオンを獲得。
2008年はSuper FJにスイッチして鈴鹿シリーズに参戦、シリーズ2位を獲得するとともに、F4&FJ MASTERS Raceのクラス制覇を達成。
2009年はF4にステップアップ、西日本シリーズのランキング3位を獲得した。


ADVAN TIRE ENGINEER
■八重樫 剛 =Tsuyoshi Yaegashi=
横浜ゴム モータースポーツ部・技術開発2グループ
1997年、横浜ゴムに入社。生産管理業務に9年間携わった後、2006年にモータースポーツタイヤを開発する部署に配属。
2007年からはスーパー耐久を中心に、シビックやカローラアクシオといったワンメイクレースなど幅広いカテゴリーのタイヤ開発を担当。F4や今季からADVANがワンメイクタイヤ指定を受けたSuper-FJ、FJ1600のタイヤ開発も担っている。
−F4の新しいタイヤが、どう変更されたのですか?

八重樫エンジニア
「ユーザーの皆さんから、最も寄せられていた要望がライフの拡大なんです。それに応えようと改良したのが、まずひとつ。
さらにフロントのサイズを180から200に変更しました。リヤは240のままで、分かりやすく言うとF3と同じサイズになったというわけです。
コンパウンド自体は摩耗重視で、やや硬めになっているんですけれど、タイムの落ちはごくわずかで、なおかつライフは抜群というものができました。
テストは2日間行い、トータルで400km以上走ってもらったんですが、実際に摩耗の量もごくわずかでしたし、ずっと安定していました」


−フロントのみサイズを変更したのは、どういう理由によるのですか?

八重樫エンジニア
「ひとつはアンダーステアの解消として、フロントのキャンバーを大きくとれるようにしようと。それと、エンジンが2リッターになることによってパワーアップした時の対応ですね」


−構造なども改めたのですか?
  それと幅が広くなることによって、従来のホイールが使えなくなるのでは・・・という心配もありますが。

八重樫エンジニア
「いや、構造に関しては、基本的に今までのものを踏襲しています。幅だけを変えて、外径もそのまま。
確かにリム幅はどうなるか、という話になりましたが、テストした中では今まで180を組んでいたホイールで、200を組んでも問題ありませんでしたし、それは確認がとれています」


−テストを担当した仁木選手は、どういう印象を持ちましたか?

仁木選手
「今までアンダー(ステア)が強かったクルマには、かなり良くなったと思います。フロントがしっかりしていて、かなりスパスパ入ってくれるので。逆にハンドリングがすごく良かったクルマにはフロントが入り過ぎる印象もあったので、セッティングを改めなきゃいけないかもしれないですけどね。
あとタイヤが硬くなって、ニューの状態から皮を剥いて、熱を入れてグリップするまで、ちょっと時間がかかったように感じましたが、それはみんな同じ条件ですから。
ただ、一回冷ましてから、また走り出すとグリップがニューの時と、ほとんど変わらないのにはビックリしました」


−開発に当たって、ライフの拡大を主眼に置いたということですから、まさに方向性ピッタリに仕上がったということですね。

仁木選手
「そう思います。
以前はリヤが太めということもあって、最初のうちはアンダーが出ていて、走り続けて減ってくるとオーバーが出るというのが痛いところだったんです。ところが、フロントが太くなることによって、前後均等に減ってくれるからハンドリングも終始一定で、グリップの落ち幅も前後均等だったんです。この感じならタイヤも頻繁に換えなくて済むし、お財布にもかなりいいですよね?」


−では、総合的な評価として。

仁木選手
「すごくいいものを作ってもらえたと思います。いやぁ、いいタイヤですよ!」


八重樫エンジニア
「仁木選手を含め、テストしてもらったドライバーから『バツグン』って言ってもらえたのは、すごく嬉しかったですね(笑)。
『もっと早くやって欲しかった』という声も出たほどなんですが(笑)、要求項目にはすべて応えられたという自負はあります」
【TOPICS】 Super-FJ、FJ1600も2010年からADVANワンメイクに!
入門フォーミュラとして長い歴史を誇るFJ1600は、JAF地方選手権としての開催は昨年限りとなったが、レースとしてはサーキットごと引き続き行われる予定だ。
また、その後継となるSuper-FJに関しては、発足から4年目を迎え、今後いっそうの盛り上がりが期待される。
両レースの指定タイヤも今年からADVANに。こちらの特色、印象も聞いてみた。


八重樫エンジニア
「Super-FJのタイヤに重視したのも摩耗の良さ、それとタイムの安定性ですね。
テストには2種類持ち込んで従来のタイヤと比較してもらったんですが、タイムが良く、なおかつライフがいいというのを選択することになりました。
F4同様、400km以上走ってもらったんですが、タイムダウンが以前より少ないそうです」


松本武士選手
「今までのタイヤだと、重心が高くなったSuper-FJには横のロールに対して、剛性が足りなかったような気がするんですよ。低いFJ1600なら、まだしも。だから、みんなオーバーステアだと言っていたんですけど、新しいADVANのタイヤだと横がしっかりしているんです。
タイヤの剛性が上がった分、ロール量が減ったような・・・。ブレーキング時に荷重がかかった時にも、タイヤがグッと踏ん張ってくれるので、全体的にグリップ感が向上しています。クルマに合わせて、タイヤを改良したって感じでしたね。
しかも何にもクルマには手をつけず、いわゆるポンづけの状態でもレコードタイムを更新しましたから、セッティングを詰めていけば、まだまだタイムは上がるでしょう。
全体的にグリップが上がったのに、最初から最後まで落ち幅がほとんどなかったので、すごく長持ちするような気がします。コントロール幅も広いので、たぶん初心者の方でも安心して乗れると思いますよ」
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