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HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.57 News Index
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2007年に引き続き、SUPER GTで荒聖治選手がコンビを組むのが、ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手。1981年にブラジルで産声を上げたオリベイラ選手は、各国のF3を経て2006年からSUPER GT参戦を果たしている。
荒選手は"J-P(ジェイ・ピー)"と親しみを込めて呼ぶオリベイラ選手、表彰台の真ん中を勝ち取るなど見事なコンビネーションプレイを見せる"良き相棒"である。
そして荒選手の"相棒"といえば、その走りを支えるADVANレーシングタイヤの存在も忘れられない。荒選手はSUPER GTを戦いながら、ADVANレーシングタイヤの進化にとっても大きな役割を担っている。

Profile
荒 聖治選手
荒 聖治 選手 =SEIJI Ara=

1974年・千葉県出身。
1994年にレースデビュー、フォルクスワーゲンカップレースでルーキーながらシリーズチャンピオンを獲得。
3年間アメリカでレース活動を行った後に帰国、フォーミュラ4(F4)を経て、全日本F3選手権にTOM'Sから参戦。
2000年に入ると全日本GT選手権のGT500クラスにステップアップ、翌'01年にはフォーミュラ・ニッポンにも活躍の場を広げる。
2003年にはSUPER GTで、ADVANブランド25周年記念マークをまとう「ADVANスープラ」をドライブ。
またル・マン24時間レースでの活躍、特に2004年に日本人2人目の総合優勝を飾ったことは記憶に新しいところ。なお、この時は日本人として初めてウィニングチェッカーを受けた。
2005年シリーズ中盤よりKONDO RACINGでSUPER GTのGT500クラスに参戦。2007年のマレーシア・セパン戦でライバル勢を圧倒してKONDO RACINGのSUPER GT初優勝を成し遂げた。
2008年もKONDO RACINGからGT500クラスに「WOODONE ADVAN Clarion GT-R」で参戦する。
荒 聖治選手からの動画メッセージ : [BROAD BAND (700K)]  [NARROW BAND (300K)]



J-P・デ・オリベイラ選手
ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ 選手 =Joao Paulo Lima De Oliveira=

1981年・ブラジル出身。
1999年に南アメリカF3選手権でレースデビュー、スカラシップクラスのチャンピオンを獲得。さらに2000年にはシリーズ2位の好成績をおさめる。
2001年はヨーロッパに渡りドイツF3選手権に参戦、3シーズン目となる2003年にはシリーズチャンピオンを獲得。
2004年、戦いの場を日本に移し、全日本F3選手権に参戦。1年目でシリーズランキング2を獲得すると、2年目の2005年にはシリーズチャンピオンに輝いた。
2006年からはSUPER GTのGT500クラスに参戦。
2007年にKONDO Racingに移籍、荒聖治選手とコンビを組んで同年6月にマレーシア・セパンサーキットで開催されたシリーズ第4戦で優勝を飾った。
オリベイラ選手からの動画メッセージ : [BROAD BAND (700K)]  [NARROW BAND (300K)]

Interview
2007年、KONDO Racingのドライバーとなったジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手。前年もGT500クラスのフェアレディZを駆り4位最高位という成績をおさめていた。
オリベイラ選手は1981年にブラジルで生まれ、各国のF3参戦を経てSUPER GTのドライバーとなった。果たして荒選手から見たオリベイラ選手の"素顔"とは、どのようなものなのだろう。
 
「J-P(オリベイラ選手)は普段とても陽気にしているところがありますが、実はものすごく神経質というか、繊細な部分を持ち合わせています。何か不安を感じることがあるとナーバスになってしまうような一面もあるので、その点はコンビを組んでいる僕がケアして、安心感を与えてあげられるような一言をかけるなどしています。」
 
"陽気なブラジリアン"というイメージもあるオリベイラ選手だが、荒選手からは意外ともいえる一面が紹介された。
では、レーシングドライバーとして荒選手が見たオリベイラ選手の印象はどうなのだろう。
 
「J-Pは、"ここ一番"という場面で出してくる速さがなんと言っても持ち味でしょう。
これはJ-Pに限ったことではないのですが、やはり海を越えて日本でチャレンジを続けている外国人ドライバーというのは、物凄いマインドの持ち主が多いですね。
"このレースに勝って自分のパフォーマンスを見せつけることで、自分自身のポジションをさらに高める"というアグレッシブさがあり、もちろんJ-Pからもそうしたマインドを強く感じられます。」

 
そんなオリベイラ選手、荒選手とは強い信頼関係で結ばれているという。
 
「コンビを組んだ最初の頃のJ-Pは、凄く暗い感じだったんですよ(笑)。それがお互いにコミュニケーションを深めていくうちに、明るくなってきて、今ではとても深い信頼関係が出来ています。
レースについても色々話しますが、ペナルティを課せられるようなことをしないように注意はしますが、逆に余り気にしすぎないようにとも言っています。
J-Pには自分の良さをもっと出してほしいから、お互いの深い部分にまで関わるような話も出来る良い関係になっています。
クルマのセッティングなどについては、例えばタイヤのことについてはJ-Pには分からない部分もあるので『荒さんに任せるね』と言ってもらっている部分もあります。
でも、僕が選んだタイヤやセッティングで速さを見せてくれるし、細かい部分を確認して善し悪しを判断してくれたりもするので、センサーみたいな役割を果たしてくれてもいます。」

 
海を渡って遠い日本の地で挑戦を続けるオリベイラ選手、荒選手も同様にヨーロッパなどに単身渡ってモータースポーツ活動を続けてきた経験の持ち主だけに、二人の間には強い信頼関係が構築されているのだろう。
 
「そう、オリベイラ選手とは良いコンビだと自分でも思います。お互い分かり合える部分も多いし、体型も似ているし(笑)。
GT-Rのレーシングマシンを初めて目の前にして、シート合わせをしたんです。まず僕がシートをあれこれ合わせてベストポジションを決めて、J-Pに交代。そうしたら座るなりJ-Pが一言『OK!』って。
ほとんど体型が一緒だから、実はレース中のシートポジションも一緒なんですよ。」

 
さて、荒選手にとってSUPER GTを戦う上でオリベイラ選手と同じように欠かせない"相棒"がADVANレーシングタイヤである。
 
「僕は2001年から2003年まで、当時の全日本GT選手権でADVANを装着するスープラに乗ってGT500クラスを戦いました。
その時の3シーズンで最上位は3位。表彰台にこそ立てましたが、横浜ゴムさんに勝利をプレゼントできなかったことが、ずっと心残りだったんです。」

 
荒選手は、再びSUPER GTをADVANレーシングタイヤで戦いことになった。そして記憶にも新しい、2007年のマレーシア・セパンサーキットでは悲願の優勝を勝ち取った。
 
「セパンでのレースはル・マン24時間レースとも時期が重なるのですが、実はル・マン24時間に乗ってくださいという話もいくつかあったのです。
でも、それらを全て断って、セパンに全力を傾けることを決意して臨みました。
全く救済を受けていない状態、つまり純粋な"ガチンコ勝負"が出来て、とても厳しい条件の中で勝てたことは、大きな自信につながりましたね。」

 
ADVANレーシングタイヤとともに掴んだ栄冠。
しかし、もちろん荒選手もADVANも、一勝で満足するようなことはない。
 
「タイヤについていえば、決勝レースでの強さを持っていることがとても大切です。グリップ力、摩耗性、コントロール性と、いろいろな要素が高い次元でバランスされていなければなりません。
しかしタイヤとしては『ここ一発でこんなに速いものも出来る』というところも見せてほしいですね。具体的にいえば予選に強いタイヤ、ということです。
今、GT-R勢の中で僕たちが唯一のADVAN装着チーム。膨大なテスト項目を一台でこなすのが大変という面もありますが、逆に僕たちの要望に対して開発陣がとても迅速に対応してくれるのは強み。
そして何より、ADVANの開発エンジニアや携わる全ての人々には熱いマインドがあります。親身なやりとりが出来るので、開発のスピードも速いですね。」


終わることの無いタイヤの進化。
ADVANレーシングタイヤは更なる勝利に向けて、"熱いマインド"で進化を遂げていく。
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