2006年の鈴鹿1000kmレース、同年開幕戦からSUPER GTのGT500クラスにフェアレディZで参戦していたKONDO
RACINGのCドライバーとして起用されたのが荒聖治選手だった。
「2006年は当初予定があったSUPER GTの参戦話が無くなって"無職"の状態だったんです。そんな時にたまたま"KONDO
RACING"から鈴鹿1000kmの話をもらいました。
実は他のチームからも誘いはあったのですが、純粋にKONDO RACINGで勝負してみたいな、という気持ちで引き受けたのが今に至るきっかけですね。」
鈴鹿1000kmで上位争いを演じたKONDO RACING。その後、エリック・コマス選手が腰痛の悪化で参戦を断念する状況となり、荒選手が新たにレギュラーとして加わることになった。
以来これまで近藤真彦監督の下でSUPER GT参戦を続ける荒選手だが、実は近藤監督との初めての出会いは荒選手がF3に参戦した頃に遡る。
「近藤監督と初めて会ったのは、監督がまだ現役の時代です。僕はF3に乗っていたので、1999年〜2000年あたりですね。当時、トヨタで一緒にレースをするような感じで、僕は若手育成プログラムに沿ってトレーニングを受けたりしていたんです。
当時も今も、近藤監督は"まじめな人"という印象ですね。
その頃受けていたトレーニングは、ウォーミングアップをやってからウェイトトレーニングをして、最後に10km走るというような厳しいものでした。これを近藤監督と毎回一緒にやっていましたが、芸能活動も忙しいのに決して手を抜くようなことはなかったんです。
芸能活動の傍らでレースをやっているんじゃない。芸能活動もレースも、どちらも真剣に取り組んでいる熱いマインドのある人なんだな、と思いましたね。」
"熱いマインド"。この言葉はKONDO RACINGを語る上での重要なキーワードになる。
そして先に記したように、2006年に荒選手はKONDO RACINGの一員に加わり、監督とドライバーという関係で近藤真彦さんと再会することになる。
「改めてKONDO RACINGに加わって、レースに対する近藤監督の真剣さや熱いマインドを実感しました。
自分もそれを受けて、"監督と一緒に勝ちたい、表彰台の真ん中に行きたい"と強く思いましたね。
結果的に昨年のセパンで実現出来たのですが、今はやはり日本国内で勝ちたいという思いを抱いています。やはり日本のGT-Rファン、そして日本のADVANファンの見ている前で勝ちたいですよ。」
ファンも期待している日本国内での優勝獲得だが、今現状のKONDO RACINGを荒選手はこう分析する。
「KONDO RACINGは年々強くなってきています。色々な経験をチームの一人一人が実にしていますね。
僕はチーム運営という意味ではアウディスポーツのようなプロフェッショナルなスタイルが好きなんです。そしてKONDO
RACINGやNISMOも近い感覚を持っているんですね。
だから今はチームに対して"こうしたい"という要望はありますが、不満は一切ありません。」
"要望はあるが不満はない"。この荒選手の言葉に今のKONDO RACINGの姿が凝縮されているのではないだろうか。
勝つための前向きな姿勢。レースは個人競技ではなく、チームという団体が競い合っているもの。KONDO
RACINGの前向きな姿勢は、着実にチームの総合力を高めることにつながってきている。
荒選手はさらにKONDO RACINGについて続ける。
「KONDO RACINGでは、杉崎エンジニアの存在も大きいですね。
長く日産車でレースをされてきて車のことを隅々まで知り尽くしていらっしゃるし、お互いに分かり合えている信頼できる大切な人という存在です。
車については杉崎エンジニアとセットアップを進めたりしていきますが、近藤監督はチーム全体を見て方針を決めたり指示を出したりしています。
近藤監督はチームのコントロール術が巧くて、レースやチームを全体的に見て動きを把握して細かい指示を出してくれます。
レース中は指示に加えて細かいインフォメーションもくれるので、とても"一緒に戦っている"という感覚が強くて楽しいですね。」
KONDO RACINGは2007年のSUPER GT第4戦・マレーシアで初優勝を勝ち取った。J-P・デ・オリベイラ選手がスタートを担当、12台を抜きさってトップに立ってピットイン。後半を受け継いだ荒選手はガッチリとポジションをキープして周回を重ね、KONDO RACINGのSUPER GT初優勝を告げるチェッカードフラッグにマシンを導いた。
「マレーシアでの優勝は、正直なところ"ホッとした"という感じが大きかったですね。
オリベイラ選手がトップでピットに帰って来た時は、凄いプレッシャーもあって"乗りたくない"と思えるほどの状況でしたね(笑)。
でも、そんな状況になるというのはドライバーとしてとても幸せなことです。ル・マン24時間で優勝したときも同じような思いをしました。
自分が走っている時は絶対に勝てると思っていましたが、何が起こるか分からないのがレース。どんなアクシデントが起きるかわからないので、とにかく最後までトップで走りきることが自分の仕事だと自分自身に言い聞かせながら走っていました。
結果的に優勝を手中に出来ましたが、やはりレースはヘラヘラした気持ちで臨んではダメですね。常に真剣に勝負してこそ、結果につながるのだと思います。」
遂にKONDO RACINGで優勝の栄冠を勝ち取った荒聖治選手。
近藤真彦監督以下、チーム一丸となって掴んだ勝利だが、そこには"良き相棒"の存在も大きい。
"相棒"とは、その言葉通りドライバーとしてコンビを組んでいるジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手。そしてもうひとつ、ともに勝利を目指して留まることの無い進化を続けているADVANの存在である。