「結構、僕って"クルマ好き"なんですよ。」
荒聖治選手は力をこめて言う。
レーシングドライバーとして国内外で高い評価を受ける荒選手は、子供のころから"大のクルマ好き"だった。
「僕は元々クルマが好きで、自然とレーシングドライバーになりたいと思うようになりました。
中でも好きなのは"GT-R"。免許を取得する前、当時グループAで星野一義さんが走っている姿なんかは、とてもインパクトが強かったですね。
それを見て『僕もあんな車に乗ってみたいなぁ』と思ったんです。」
生粋の"クルマ好き"だった荒選手がモータースポーツの世界に足を踏み出したのは自然なことだったのかもしれない。
「あくまでも最初は趣味としてレースを始めました。
高校生の頃は部活動もやっていましたが、いまひとつシックリこなくて。それでレーシングカートをやってみたら楽しくて、打ち込むようになったんです。」
レーシングカートを卒業すると、荒選手は1994年にフォルクスワーゲンゴルフIIでレースデビューを果たす。
この年、デビューイヤーながらシリーズチャンピオンを獲得、俄然注目を集める存在になった。
「レースの一方で、元々の"クルマ好き"ですから自分で愛車をいじってみたりもしていました。
最初に買ったのはゴルフのレースに出場していたので、兄弟車のような存在のフォルクスワーゲン・ジェッタです。これにゴルフ用のレーシングパーツを組み込んで、練習を兼ねて乗っていましたね。目指したイメージはDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)の雰囲気で(笑)。
その次にはBMWの325に乗りました。これは左ハンドルのマニュアルミッションだったのですが、運転席側のドアがブツかっていて開かなくて、いつも右のドアから乗り降りしていました(笑)。」
レース活動をしながらも、愛車でもカーライフを楽しんでいた荒選手。
アメリカでの活動を経て帰国後、フォーミュラ4(F4)から全日本F3選手権へとステップアップを果たしたあたりから、心境の変化が現れるようになったという。
「実はF3に乗るまでは、自分がプロのレーシングドライバーになれるなんて思ってもいなかったんです。
もちろん応援してくれる人もいるし、自分にとってもレースは楽しいことなので、出来る限りまで一所懸命全力でやっていこうとは思っていましたが。
しかし、F3のレベルに乗るようになると"やはりプロを目指すべきだ"と強く思うようになりました。"レースが好き、というだけではやっていられない"と思い知らされたのがF3というカテゴリーでしたね。
マシンも半端じゃないクオリティで造られていますし、ドライバーにしても外国人が大勢来ていたりする。とにかくF3というのは"世界レベル"の戦いであって、色々な意味で自分自身に高い意識を持たせてくれるカテゴリーです。」
F3にステップアップしたことで、本格的にレーシングドライバーとしての道を歩み始めた荒選手。
外国勢との交流や戦いを重ねることで、その視線は世界レベルのモータースポーツフィールドに向かっていく。
「世界的なフィールドでレースをするには語学も必要ですし、色々なことを漫然とこなすのではなく、しっかりプランニングして行動することが大切になってきます。
当時、僕はチーム郷のマネージャー業務もお手伝いしていました。レーシングスーツやウェアの手配などの細かい仕事もこなしていて、サーキットで取り付けが間に合わなかったレーシングスーツのワッペンを僕が縫いつけたりもしていたんです。」
F3というカテゴリーの最前線で戦いつつも、マネージメント業務を通じて世界レベルのレース参戦に向けた"下積み"を重ねていた荒選手。その経験は自身の大きな財産になったと語る。
「例えば日本ではサーキットまでの移動に必要な航空券の手配などは、マネージャーに任せるのが一般的です。しかし、ヨーロッパではドライバー自身でやるのが当たり前。
僕はマネージャーの経験があるから、自分自身で色々な手配をすることには全く抵抗がありません。だから自分のフットワークも軽くなりました。
そうした経験がとてもプラスになっていて、結果的にはル・マン24時間レースにデビューすることにもつながっているのです。
ある時、チーム郷で"チームオレカでオーディションがある"という話を聞きました。『やってみる気はあるか?』と聞かれたので、二つ返事で『もちろん!』と答えたら、『では、今からフランスに行け』と言われて。
家に帰って荷物をまとめて、その日の夜10時くらいには自分で手配したフランス行きの飛行機に乗っていました。シャルル・ド・ゴール空港で乗り換えてマルセイユに飛んで、そこからも自分でレンタカーを借りてチームオレカの工場まで行って、着いたらシート合わせをやったりして。」
"経験"という貴重な財産を活かしてル・マン24時間レース出場のチャンスを掴んだ荒聖治選手。
本格的にプロフェッショナルのレーシングドライバーとして、ますます国内外で活躍を見せることになるのは、みなさんがご存じの通りである。