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レースとラリー、それぞれのフィールドでプロ・ドライバーへの道を切り拓いて第一歩を踏み出した番場兄弟。
兄・琢選手はFTRSでフォーミュラ・トヨタやF3を経験した後、2005年に初めてSUPER GTの300クラスにスポット参戦を実現した。一方で弟の彬選手もニュージーランドでラリーデビューを果たした後、2008年には全日本ラリー選手権にフル参戦、2010年からはCUSCO WORLD RALLY TEAMの一員となってAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)へのチャレンジを開始する。
番 場  琢 選手 =Taku Bamba=
番 場  彬 選手 =Akira Bamba=
1982年1月30日生まれ。
'97年にカートデビュー、2002年よりレースに転向して同年のアジアン・フォーミュラ2000では中国・珠海戦で優勝を飾る。その後、全日本F3選手権やスーパー耐久でキャリアを重ね、'06年からSUPER GTに参戦。
2009年から人気キャラクター・初音ミクとコラボレーションしたマシンを駆り、2011年は谷口信輝選手とのコンビでシーズン3勝を挙げてチャンピオンに輝いた。
1986年3月22日生まれ。
2006年のニュージーランド・ラリーにプライベートで参戦してラリーデビュー。
'08年には全日本ラリーにフル参戦を果たして経験を重ね、'10年からCUSCOの一員としてスイフトを駆ってAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)にエントリー。'11年はプロトン・サトリアネオにマシンをスイッチ、保井宏隆選手とのコンビでジュニアカップを制した。
 
4歳年下の弟・彬選手も、兄・琢選手と並んでラリードライバーとしてのキャリアをニュージーランドでのデビュー戦からスタートさせた2006年。
琢選手は'04年にはスーパー耐久のグループNプラスクラスでチャンピオンを獲得、翌'05年にはSUPER GT・300クラスに初のスポット参戦を果たし、'06年はレギュラーシートを獲得していた。
そこに聞こえてきた、彬選手のラリーデビュー戦における完走。この知らせを聞いた時の心境を琢選手は次のように語る。

「正直に言って、まさかデビュー戦で完走するとは思ってもいませんでした。だから完走と聞いて、『よくやった!』と言いましたね。
思えば彬は、4輪バギーのコントロール能力が異次元のところにあったんですよ。もう、それは曲芸の領域とでもいうレベルで。それを間近で見ていたので、僕も彬にはモータースポーツをやるならダートの方がいいと言い続けてきました。それに、カートで吐いちゃった一件もありますし(笑)。
ただ、僕の浅はかな考えでは、ラリーの世界はレースよりもメディアの露出やステップアップの機会が少なくて、圧倒的に厳しいものだと思っていました。だからこそ、やるのであれば僕も全力で応援するというスタンスでいましたね。
それに僕としては、金銭的な面で親父が僕にしてくれた支援よりも、弟の方が少なかったことも気になっていました。『お兄ちゃんばっかり、ずるい!』なんて言って、グレないでほしいという思いもあったんですよ」
 
“兄弟”は、当たり前だが二人以上で初めて成立する関係だ。兄がいるからこその弟であり、弟があってこその兄である。しかし時としてこの関係は、どちらかにとって精神的なプレッシャーや負担を感じさせることもあるようだ。
そんな複雑な思いを、弟・彬選手が率直に語った。

「ラリーに関してはお兄ちゃんにレールを敷いてもらった話でも無いので、特にお兄ちゃんの存在を意識したことはなかったんです。僕の場合、とにかく相手がお兄ちゃんであっても、というかお兄ちゃんだからこそ、負けず嫌いの面が出ちゃうんですよ。それこそレースのテレビゲームをやっていた子どもの頃から……」

このコメントだけを採ると、兄弟仲がどうだったのかという素朴な疑問が芽生える。その点については兄・琢選手が口にした。

「兄弟の仲は昔から良いですよ。ただ、ケンカになるとお互いに絶対に引きません。負けず嫌い同士なんでしょうね」

この言葉で安心させられたが、やはり思春期などには兄弟という関係について、互いに微妙な思いが生まれることもあるのかもしれない。その“微妙な思い”については、彬選手が本音を語る。

「子どもの頃は体格で絶対に勝てない。だからプロレスごっこもやられるがままだったのですが、テレビゲームなら対等に戦えるじゃないですか。だからもう、本気の真剣勝負になるわけですよ。
そして大きくなるにつれて、弟と呼ばれることへの抵抗をずっと感じ続けていたんです。ラリーを始めてからは、とにかく“レーシングドライバー・番場琢の弟”と言われるのが嫌でしたね。だって、弟って兄がいて初めて成立する存在じゃないですか。
現実的には僕がラリーを始めた時には既にお兄ちゃんはGT300にも乗っていて、僕のことなんか誰もわかるわけがないんです。でも、どうしても“番場琢の弟”って言われるのが、しっくり来なかったんですよ」
 
決して逃れることは出来ない弟という立場。微妙な思いを感じ続けていた彬選手だが、APRCのジュニアカップで初代チャンピオンを獲得したことで、変化が生じてきたという。

「去年、お兄ちゃんの応援にサーキットへ行ったときも、“琢の弟”という扱いではなかったんです。番場君、とか彬君とみんなに呼ばれて、見ず知らずの方からも『彬君、今年も頑張ったね』と声をかけていただきました。
だんだんと、サーキットでも“琢の弟”ではなくて、番場彬という一人のラリードライバーとしての存在が知られるようになってきたのかな、と思いましたね」

こうした周囲の変化は、兄の琢選手も感じているという。

「彬が全日本選手権に参戦していた頃も、2010年にAPRCに参戦したときも、周りからは『弟さんも頑張っていますね』と言われていました。どうしても、まだ扱いとしては“弟”なんですよ。
でも、ジュニアカップのチャンピオンを獲った前後くらいから、“彬くん”という呼び方に変わってきたんです。それは僕のブログやツイッター、フェイスブックなんかに書き込んでくれるファンのコメントでもそうでしたね。それだけ彬の存在が大きくなってきたことの証だと思うので、とても嬉しいことです。そのうち、僕が“彬の兄貴”と呼ばれるようになるくらいに、彬には成長してほしいと思っています」

ここで、すかさず彬選手が一言。

「もちろん、将来的にはそうしたいんですよ。僕も負けず嫌いだから、やっぱり一番がいいですし」

弟の“宣戦布告”に対して、兄はこう答えた。

「早くそうなって、俺のことをお前が食べさせてくれよ(笑)」
 
取材の裏話をすると、このインタビューは当初は2時間程度の予定だった。しかし兄弟が揃って初めて受けた取材ということもあって大いに話は盛り上がり、実に4時間のロングラン・インタビューとなったのである。
そして、その会話の中では、兄弟の仲の良さがとても印象的だった。お互いにチャンピオンを獲得したいま現在の二人は、どのような関係にあるのかを聞くと、彬選手が面白いことを教えてくれた。

「お兄ちゃん、長いんですよ。電話が。『男同士で、よく2時間も電話で話が出来るね』って、よくみんなに言われるんです。ホント、2時間なんかザラですからね」

兄弟で2時間の長電話というのも珍しいかもしれない。その点について琢選手が語る。

「たしかに2時間も喋ることは日常茶飯事です。ただし、2時間のうちの95%は、僕が喋っています(笑)」

では、その話の内容とは? 彬選手によると……。

「普段から良く話はするのですが、パターンとしてはお兄ちゃんがいろいろなことについて『こうあるべきだ』というような話をして、それを僕が受け止めているという感じですね」

もう少し具体的に、琢選手に聞いてみよう。

「もちろんお互いの走りについての話もします。レースとラリーという違いがあるので互いにどこまで活かせるのかはわかりませんが、ドライビングについての情報交換もしています。
あと、僕は彬の戦いぶりをインターネットなどで逐一チェックして、優勝したら『おめでとう』のメールもすぐに送っています。なのに、彬は僕が優勝してもメールのひとつも送ってこないんですよ。だから、『お前はひどいな、俺はいつもラリーの情報を集めてチェックしているのに、お前はSUPER GTの結果も見てくれていないのか』って言ったことがあるんです。
そうしたら、次のレースでは決勝が終わるとすぐにメールが来ました。でも5位だったのに、『4位おめでとう』っていうメールが(笑)」
 
レースとラリーで互いにチャンピオンを獲得した2011年。つまり、兄弟揃って2012年は“ディフェンディング・チャンピオン”として、それぞれレースとラリーに臨むことになる。そこで最後に、今シーズンの目標と、互いへのエールの交換をしてもらって、このインタビューを締めくくることにしよう。
まずは、SUPER GT・300クラスのチャンピオンに輝いた琢選手から語ってもらった。

「2012年は、僕自身の真価を問われるシーズンになることは間違いないですよね。谷口さん(谷口信輝選手)と一緒に戦ってチャンピオンと獲った次のシーズンだから、僕は自分自身の真価を谷口さんに見せたいんです。谷口さんに色々と教わったおかげで、こんなレーシングドライバーになれました、っていうことを恩返しも含めて。あとは海外のレースにも興味があるので、例えばマカオやWTCCなんかも視野に入れて、チャンピオンという称号も活かして活動の幅を拡げられるように模索してきたいですね。
彬については、もっともっと上にいってほしいんです。目指しているものはWRC(FIA世界ラリー選手権)だと言っているんですから、ぜひそこで成績を出せるようなラリードライバーになってほしい。そのためには、僕は29歳で四輪レースを始めて十年目ですが、ようやくここに来て他人との交渉事が出来るようになってきました。番場家のDNAなのかもしれませんが、ここが苦手なところなので、一人のラリードライバー・番場彬としての価値を高めて、しっかりプロとしてそういうことも出来るようになってほしいですね」

続いて、彬選手に聞いてみよう。

「まだ今年のことは具体的には決まっていませんが、仮にAPRCに参戦できるとしたら防衛側という立場じゃないですか。これまで、そんな立場で戦ったことは無いし、僕と同い年やもっと若くて上を目指している選手たちと戦うことになると思うんです。そういう選手たちに対して、しっかり自分がさらに上をいっていないと、僕自身の将来が絶たれてしまうことにもなる厳しい立場だと思っています。
だから、まずは誰にも負けないことが目標。自分の限界点がまだまだ高いところにあるとわかったので、その領域できちんと戦うことが大切ですよね。あとは車両開発なんかもどんどんやりたいですし、とにかく今はさらに良くなることしか想像出来ないんですよ。
お兄ちゃんについては、どうしても去年は谷口さんがエースという扱いで、雑誌などにもコメントや写真はメインで載っているじゃないですか。どうしても谷口選手と組んでいる番場琢選手という位置づけになってしまっているので、メディアにもっとうまく載れるように、番場琢という存在を売っていってほしいですね」
インタビューの中で、琢選手は「兄弟の根は同じ」と語った。しかし、同時に「枝についている葉っぱは違いますが」とも分析している。
互いに負けず嫌いで向上心に溢れているが、あえて言えば琢選手は猪突猛進型で、彬選手の方が慎重派というのは、互いに認めるところ。だからこそ、戦うフィールドは異なるとは言え、兄弟が互いに切磋琢磨し合って成長を続けている姿が、このインタビューからも垣間見ることが出来たのではないだろうか。

ともに“ディフェンディング・チャンピオン”として迎える2012年シーズン。さらに一回り大きく成長して、素晴らしい戦いの主役となってくれるであろう、レーシングドライバー・番場琢選手とラリードライバー・番場彬選手からは、ますます目が離せなくなりそうだ。。
[UPDATE : 30.Jan.2012]
           
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