東日本大震災の影響でカレンダーに変更が生じたため、実質的な開幕戦となった5月の富士スピードウェイ。「初音ミク
グッドスマイル BMW」は雨に翻弄される展開の中で粘り強い走りを見せて、5位フィニッシュを果たした。
そして岡山ラウンドをはさんで迎えた第3戦・セパンサーキット。練習走行から好調な走りを見せた初音ミク号は初のポールポジション獲得、決勝も谷口選手がスタートからリードを拡げていく。番場選手は後半を担当したが、10秒ほどあった後続との差を背景に周回を重ねるも、残り6周の時点で一気にその差が2秒を切る展開に。
真後ろにライバルが迫ってきたためチームに緊張が走ったが、最後はコンマ8秒の僅差で逃げきり、チーム結成4年目にして嬉しい初優勝を飾った。
「セパンではドイツからエンジニアさんが来てくれたことが大きかったですね。とにかく初めてのクルマでしたし、最近のGT3車両は電子制御がたくさん入っているので、最初はみんなチンプンカンプンだったんです。何かエラーメッセージが出たら、『このエラーはどうやって消すの?』とか、『この表示は何の意味なの?』といった感じで、レースウィーク中にもみんなで頭を抱える場面が富士、岡山と続いていました。
だから正直に言うと、富士も岡山もギリギリで完走出来ていた部分がありました。練習でちょっとしたトラブルが出ても、決勝ではたまたま出なかったりとか。岡山のファイナルラップなんかは、エラーが出て走りきれるか分からないような状況でしたし。
さすがにこんな綱渡り状態ではマズイという話になって、チームの働きかけによってドイツからエンジニアさんが来てくれました。これで安定感は上がりましたし、RSファインさんもクルマについてかなり進歩させられたと思います」
大きな力となった、BMWを知り尽くしたエンジニアのサポート。では、セパン戦の優勝は予定通りだったのだろうか?
「いや、あのセパンでの優勝は完全な誤算です(笑)。
僕たちの車は“直線番長”とみんなに言われていますが、コースとしてはテクニカルより高速型の方が得意。だからセパンについては、『もう、絶対に無理でしょう』と。富士、岡山、セパンという序盤3戦の中で、もっとも辛い戦いを強いられると思っていたのがセパンだったんですから」
では、“想定外”の優勝を獲得できた原因とは?
「最初は、セパンで勝てた理由が良く分からなかったんです(笑)。
でも冷静に分析してみると、大きな要因となったのがタイヤでした。石黒さん(横浜ゴムMST開発部・石黒禎之エンジニア)を中心に、毎回試行錯誤しながらとても良いタイヤを作ってくれたおかげです。富士と岡山は雨が絡んで厄介でしたが、セパンではとにかくタイヤが良かったので、予期せぬ優勝につながりましたね」
“勝つための変化”から始まった2011年、ADVANレーシングタイヤがガッチリとその走りを支えて掴んだセパンでの初優勝。これで肩の荷がひとつ降りたのだろうか。
「チームとしてはそういう思いもあったでしょうね。ただ、僕としてはシーズンイン前から谷口さんに『目標は優勝じゃない、チャンピオンを獲りたいんだ』と言われていたので、優勝して嬉しい思いもありましたが、僕も谷口さんと同じ思いだったのでむしろ気が引き締まりましたね。
富士、岡山は谷口さんに『超いい仕事だった』と褒めてもらっていました。なぜかぼくのパートでは条件が悪くなって、富士では窓が曇って前が全然見えないし、左のミラーは空を向いていたし。岡山も厳しかったのですが、ポジションを上げてゴール出来たので、褒めてもらえたのではないかと思います。
でもセパンでは逆に叱られてしまいました。『お前が決して遅いわけじゃないが、とにかくGT500車両の処理が下手だ』と。実際にラップタイムが落ちていったのではなく、極端に遅い周が3周くらいあったんです。テクニカルなエリアでGT500車両がまとめて後ろから来て、それをアタフタと処理しているうちに2〜3秒落ちる、みたいな感じで。
そのせいで10秒くらいあったマージンを吐き出してしまい、2番手のライバルが息を吹き返してプッシュしてきたから、最後はギリギリでした。もっとも、観ている人からしたら、ドラマティックな展開だったでしょうが(笑)」