カートの魅力に心を打たれたという琢選手。早速、自分でやってみたいとお父さんに相談を持ちかけることになる。
「親父に、『カートをやりたい!』と言ったら、高校受験が終わったら、という条件が出ました。それで高校に受かってから、一緒に始めることになったんです。
いざ始めようということになって、たまたま門を叩いたカートショップが“カートの神様”と呼ばれている李好彦さんとつながりのある店でした。それは本当に偶然だったのですが、さらにタイミングが良いことに、李さんが作ったというカートが店にあって、ヘルメットなどを含めたセットで10万円で売りますよ、と言われたんです。
それを買って、あとはもう楽しくて仕方なくて。親父と一緒にカート場に3年くらいは通いましたね」
高校一年でカートを始めた琢選手に対して、彬選手は小学六年生。彬選手は当時のことをこう語る。
「僕はお兄ちゃんがカートを始めたころは、全開でクルマ酔いする子どもだったころでした。いや、クルマ酔いは今でもするんですが……(笑)。
もちろんラリー中なんかは集中しているので運転していれば大丈夫……、とも言い切れない部分もあって……(苦笑)」
クルマ酔いするラリーのチャンピオン、というのも信じられない話ではあるが、琢選手が子どものころのエピソードをひとつ教えてくれた。
「僕はカートを始めて地方戦から全日本戦へとステップアップしていったのですが、弟にもやらせてみたいと思ったんです。でも、あまり本人は興味が無さそうにしている。
だから半ば強制的にカート場に連れて行って、昼休みに乗せてみたらクルマ酔いして吐いちゃったんですよ」
このことは、彬選手もしっかり覚えていた。
「中学一年のころだったかな。みんなが休憩している昼休みに走らせてもらったのですが、コース上には自分一人だけ。
最初の1〜2周は始めてだったこともあって純粋に面白かったのですが、走りながらだんだんと『レースって、抜きつ抜かれつをやって競うものでしょう』って思い始めて、面白くなくなってきたんです。
そんなことを考えていたら気持ちが悪くなっちゃって、ピットロードに戻って止まると同時に、お兄ちゃんのヘルメットの中で……」
この彬選手のカート初体験、兄の立場を使った“強権発動”によるものだったと琢選手は振り返る。
「僕も兄貴だから強く出て、1〜2周だけ走ってピットインしようとする彬に対して、ダメ出しして走り続けさせたんです。
それに、初めてカートに乗るという割りには本当に速かったんですよ。周りのカート仲間たちもビックリして、『こいつには才能があるぞ』なんて言うから、兄としても鼻高々な気分で。それが、疲れたと言って早々にピットインするなんていうものだから、兄として『そんな甘えは許さん』となって(笑)」
クルマ酔いという、まさかのモータースポーツ初体験となった彬選手。しかし、これが後の運命を決定付けることになったと、今思えばターニングポイントとして振り返ることが出来るかもしれないと彬選手は語る。
「カートでクルマ酔いして吐いたその時に、『僕はアスファルトはダメだ! カートはやらない!!』って宣言したんです」