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HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.83 News Index
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昨年大好評をいただいた「SUPER GT 300class・エンジニア新春座談会」。
シーズン中はライバル同士ということもあり、なかなかこれだけの面々がそろって言葉を交わすことはできないのですが、シーズンオフには少しだけ息を抜いて、皆さんの本音がポロリと漏れたりもして、参加してくださった方々にも大いに楽しんでいただけたようです。

そこで今年も第2回座談会を開催。2年連続で登場する方も、今年初めてという方も入り混じり、昨年以上の盛り上がりを見せました。
特に今年は、RACING PROJECT BANDOHの坂東正敬監督が、昨年の新年会での宣言どおりにチャンピオンを獲得!チャンピオントロフィーの輝きが、新年会に華を添えてくれました。

まずは、「初めまして・・・」の方も何人かいらっしゃるということで、昨年同様、皆さんの自己紹介からスタートです。
 
 
坂東正敬 さん
RACING PROJECT BANDOH
No.19 「ウェッズスポーツIS350」


「レーシングプロジェクトバンドウの坂東です。まだまだ若手の33歳ながらシリーズチャンピオンを獲らさせていただいて、現在"天狗"になっている状態です(笑)。
先輩方にどんどんいじめていただくのが、僕のためにもなると思っているので、ぜひ今回は、というか今シーズンも、いろいろといじめていただきたいと思います」
 
 
片山克己 さん
Studie GLAD Racing
No.808 「初音ミク Studie GLAD BMW Z4」


「Studie GLAD Racingの片山と申します。
808号車のエンジニアをさせていただきまして、えー・・・(「思い出とかないの?」と周りの笑い声)。苦しかったことしか(苦笑)。
シーズン途中で何回か死にそうになりましたが、車もなんとか走ってくれて、良かったかなという1年です」
 
 
大駅俊臣 さん
TEAM NISHIZAWA MOLA
No.46 「エスロード MOLA Z」


「MOLAの大駅です。46号車、エスロードMOLA Zのエンジニアを担当させていただきました。
昨年からヨコハマさんにお世話になりまして、この(新年会の)場に来て、やっとヨコハマさんの傘下に入れたかなという感じを受けています(笑)。
来年の新年会にもまた、こうした形で皆さんに呼んでいただけるように、今年も頑張りたいですね」
 
 
渡邊信太郎 さん
Cars Tokai Dream28
No.2 「アップル・K-one・紫電」


「ムーンクラフトの渡邊と申します。社内では紫電プロジェクトと呼んでいるんですが、そのプロジェクト責任者をしています。
紫電は当初からずっとヨコハマさんにお世話になっています。毎年あと少しというところまでは行くんですが、なかなかチャンピオンは手が届きそうで届かないですねぇ。
幸い、チームタイトルだけは1度獲らせていただいたんですがね・・・」
 
 
河野高男 さん
M7 RE雨宮レーシング
No.7 「M7 MUTIARA MOTORS雨宮SGC 7」


「RE雨宮の河野です。去年も・・・、頑張ったんですけれどもね。
坂東さんのチームにチャンピオンを持っていかれてしまいました。
去年のこの新年会で大きいことを言いすぎてしまったので、今年は少し控えめにしておこうかな(苦笑)。」
 
 
河瀬和弘 さん
TEAM DAISHIN
No.81 「ダイシン アドバン Ferrari」


「ダイシンのメンテナンスをやっています、RS中春の河瀬です。
今年は途中からエンジニアとして返り咲きました。
おかげさまで車がとても速かったので、シーズンで2勝もさせていただきましたし、後半は割といい成績で終わることができて良かったと思っています」
 
 
福田洋介 さん
JIMGAINER
No.10&11 「JIMGAINER ADVAN F360&F430」


「ジムゲイナーの福田です。
序盤は栗山が監督を務めていたんですが、体調等の都合もあり、途中から監督も兼ねつつ、1年間エンジニアをやらせてもらいました。
昨年は新車だったんですが、なんとか成績が出るところまで持ってこれました。もう少し、やりきれなかった部分が残りましたけどね」
 
 
澤田 稔 さん
R&D SPORT
No.62 「R&D SPORT LEGACY B4」


「今年はレガシィを走らせたR&Dスポーツの澤田です。チームのテクニカルコーディネーターとして、エンジニアとチームの統括をやっておりました。
宴に遅れてすいません。いや〜、出る間際にいろいろ仕事が入ってきちゃってね〜(苦笑)」
 
 
 
と、R&Dスポーツの澤田さんが到着したところでようやく全員がそろいました。
総勢8チームの監督&エンジニアの皆さんが集まった新年会ですが、前回同様ADVANのタイヤ開発エンジニア2人も加わってのホンネトークがいよいよ始まります。
 
 
SUPER GT 300class ADVAN TIRE ENGINEER
石黒 禎之
横浜ゴム株式会社
モータースポーツ部
技術開発1グループ
GT300担当エンジニア
飛鳥井 俊文
横浜ゴム株式会社
タイヤ材料設計部
材料設計4グループ
コンパウンダー
 
  
乾杯の後、まずは皆さんに、2009年シーズンを簡単に振り返っていただきました。まずはチャンピオン、RACING PROJECT BANDOHの坂東さんからです。
昨年の新春座談会で「チャンピオン獲得」を宣言した坂東さん。スタートダッシュと言わんばかりに、開幕戦から優勝を飾りました。
 
坂東正敬さん (RACING PROJECT BANDOH)
「開幕戦は、棚からボタモチというか、棚が落ちてきたというか(笑)。運が良かったという部分もありますよね。
僕がベストレースだと思うのは、最終戦のもてぎと、第5戦のSUGO。
SUGOでは、いち早くピットに入ってスリックタイヤに替えた、あのタイミングが良かったかなと。あのレースでは表彰台には届きませんでしたけど、うちとMOLAさんは全戦ポイントを獲れたので、チャンピオン獲得についてはそれがすごく大きかったかな〜と思いますね。
もてぎは、いかんせん予選で苦労するかなと思っていたんですが、片岡龍也選手が頑張ってくれたので3番手からスタートできたのと、タイヤが良かったんですよ。
RX-7のマネをしてタイヤ無交換で行ったんですが、非常にタイヤのパフォーマンスが良かった。タイヤ代も少し安くなって、経費も若干浮いたかな(笑)。
流れが来たなというレースは、特にはないですね。毎戦、結構ギリギリのところでやっていたんで。オートポリスでは、とあるドライバーがスピンしたりなんかして(苦笑)。ちょっと余裕があったのかなとも思いましたけど。
まぁ、毎戦毎戦、メカニックが頑張ってくれたっていうのがあるのと、なんといってもタイヤが良かったですね。開幕戦でも、雨で勝てたっていうのがすごく嬉しかったですよ」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「さっきは棚ボタだって言ってたじゃない(笑)」

坂東正敬さん (RACING PROJECT BANDOH)
「あっ、いやいや違う違う(汗)。他のメーカーよりも素晴らしいタイヤを作ってくれた、ヨコハマさんのあのタイヤのおかげですよ。
最終戦も、気温と路面温度のバッチリ合ったタイヤと、すごくタイヤに助けられた1年でしたね。
あと、最終戦で隣のガレージの中春さんが、RX-7より前でゴールしてくれたので、チャンピオンを獲れたのは中春さんのおかげでもあります」


―お次は、第8戦オートポリスで初ポイントを獲得したStudie GLAD Racingの片山さん。
  「えー、チャンピオンの次に来ちゃうの?」と順番に不満げながらも、苦労に苦労を重ねた1年を振り返っていただきました。


片山克己さん (Studie GLAD Racing)
「速くなった理由?僕がすごいんですよ(一同爆笑)。
まぁ、途中から乗った番場琢選手が良かったっていうのはありますね。ポイントも獲れましたから」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「鈴鹿700kmのノックダウン予選では、絶対に2回目まで来ると思ったんですけどねぇ……」

片山克己さん (Studie GLAD Racing)
「ちょっと足んなかったねぇ。あの車、もう、あり得ないぐらいの改造をしたんですよ。808号車は、女のコ(レースクィーン)は注目されていたけれど車的にはあまり注目されていなかったんで、何でもできちゃったというか。
エンジン変えて、ギアボックス変えて、足回りも変えて。鈴鹿は、それら全部をやり替えた状態で臨んだんですよ。もう大変でしたよ。去年は2回ぐらいね、死にそうになった(苦笑)」


―片山さんのご苦労の末、速い車に仕上がったBMW Z4。番場選手も片山さんの努力に応えてタイムが出せたのでしょう。
  チーム全員の力なくしては獲得できなかった、オートポリスでの1ポイントです。
  続いては、夏の鈴鹿を見事2年連続で制覇した大駅さんです。


大駅俊臣さん (TEAM NISHIZAWA MOLA)
「鈴鹿はベストレースというわけではなかったですね。僕としては、ベストレースはそのあとの第7戦富士。リザルトは出てないですけど、ここの富士でやっと、本当にやっと、車らしくなったんです。
鈴鹿は、結果的には一番良かったですけどね。最後の数周で・・・、(渡邊さんに)すいませんでした。あの時はいろいろあったので、すごく効率のいい勝ち方ができたなと思っています」

渡邊信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「けっこう加藤さんて、乗ってるときは無線とかでもすごくアツイんですよ。普段はそういう感じしないですけど。
GT500クラス(の車両)に対してすごいこと言ってましたね、あの時は(苦笑)」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「鈴鹿は、確か第2戦でも表彰台でしたよね」

大駅俊臣さん (TEAM NISHIZAWA MOLA)
「そうですね。鈴鹿は何か、巡り合わせがいいんですよね。結果的に夏の鈴鹿耐久は2年連続で勝てているので、チーム的にはすごく、パフォーマンスを出せたなと思っています。
ただ、去年から全然クルマが変わっていないんでね、周りのクルマとは違ってこう、『やったな』っていう感じはないですね。
やっと合ってきたのが富士。これもね、石黒さんがいいタイヤを作ってくれたおかげですよね」


―続いては渡邊さん。
  最後尾からスタートして優勝したセパンが印象的に残るアップル・K-one・紫電。
  しかし、渡邊さんの挙げたベストレースは、なんと涙をのんだ鈴鹿でした。


渡邊信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「あのときは、直線スピードが極端に遅かったんですよ。で、それ以外で稼ごうということになって、ストレートスピードを無視したセットアップをしていたんで、結構速いところが違うんですよね。たしかに最後は残念でしたが、それでも、狙っていた順位よりははるかに上でした。
それよりも昨年は第2戦くらいから、極端な資金難に陥りまして(苦笑)。1年間続けられない可能性が出てきたんでね。そういう中で、何とか最後まで来れたっていうのがあるんですけど。車的には何も問題がなかったし、何よりもタイヤが良かった。そのタイヤの性能を生かしきれなかったのが残念です。
(優勝した)セパンはいろいろと運もあったし、ホントにタイヤが良かったんでね。もともとセパンとかオートポリスは車のバランスがいいのと、同じ車でずっとやってきているから、どういうタイヤを使えばいいとか、いろいろ分かっている部分があるというのも大きいと思うんですけどね。
ただ今年はいろいろなものが壊れちゃったりして、出鼻をくじかれた感じで。基本的には、負のスパイラルに陥った形で1年間終わってしまったという感じですね」
 
 
 
【TOPICS-1】 みんなにとって嬉しいタイヤとは限らない?
―渡邊さんは、鈴鹿に続き、2位に入ったSUGOのレースも印象に残っているそうです。

渡邊信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「SUGOも良かったですよ。レインタイヤがね、本当に良かった、あの時は」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「でもあのSUGOでは19号車からは、『ダメだよこのタイヤ!』って言われたんですよね」

坂東正敬さん (RACING PROJECT BANDOH)
「あのタイヤは、ダメ・・・でしたよね」(一同大爆笑)

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「『でもこれ、2号車と同じなんですけど・・・』ってね」

渡邊信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「あのタイヤがねぇ。加藤さん(加藤寛規選手)が大絶賛だったんですよ」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「確かに、2号車さんにはすごく喜ばれましたよね。坂東さんとか、MOLAさん、雨宮さんとかには『ダメ』って。次に雨が降ったとき、『これ、SUGOのタイヤじゃないよね?』って聞かれるぐらいでしたから」
 
 
 
―さて、お次はGT300クラスに「タイヤ無交換」という新しい戦略を広めたRE雨宮レーシングの河野さんです。

河野高男さん (RE雨宮レーシング)
「いいレースですか? 去年うちは1度も勝ってないんでね。どれがベストレースかっていうと・・・」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「その割には、4回続けて表彰台に乗ったじゃないですか」

河野高男さん (RE雨宮レーシング)
「トータルで6回乗ったね。運転手と、タイヤが良かったから。
まぁ、一番最初に無交換をやった鈴鹿になるのかな、ベストレースは。皆さん、そんなこと(無交換を)やるなんて思ってもいなかったでしょうからねぇ。
もともと、2008年の時にもタイヤのライフとしては1レース持つであろう、というところでやっていたんですけど、ドライバーとうまく信頼関係を結べないと、そういう、博打って打てないんですよね。通常は運転手が嫌がるんですけどね。うちは給油時間がすごく長いので、少しでもピットの作業時間を短くするためには、ガソリンを入れないわけにはいかないんでね。
無交換をやるしかない。その中で、うちの運転手たちが『やろう』と言い始めてくれたんでね。ホントに、運転手ありきでできる作戦。それが思いのほかうまく言ったので、味をしめてその次も、その次もっていう風にやったんですよ。
最終戦も本当は無交換で行きたかったんですけどね。皆さんよりもソフト系のタイヤを使っているんで、タイヤ交換をしたんです。最後、ちょっとの差でチャンピオンを獲れなかったんですけど、これがうちの(2009年の)実力かなと思って。
富士でリタイヤしたとき、『今年はこれで終わったかな』という感じに思っていたら、オートポリスでとある車が、最後に嬉しいことをやってくれたんでね(坂東監督、苦笑)。あのまま行ってたら、たぶんオートポリスでチャンピオンがほぼ決定だろうというところだったのが、最終戦まで楽しませていただけましたね。
でも昨シーズン一年間はホントにね、一番面白かったですね。皆さん最後までいいポイントを稼いでいって、最終戦をああいう形で、坂東さんがチャンピオンを取っていったけれども、1年間努力してきた結果だと思うし、来年は坂東商会にならって、もっと努力してまたチャンピオンを狙っていきたいと思いましたね。
でもとにかくね、タイヤのおかげですよ、無交換という作戦がこれだけできたのは」


―続いては、第6戦でニューマシン「LEGACY B4」をデビューさせたR&D SPORTの澤田さん。

澤田稔さん (R&D SPORT)
「鈴鹿からの参戦なんで、皆さんほど話題がないんですけどねぇ・・・(唯一のAWDじゃないですか)。だから大変なんじゃないですか。
ベストレース・・・、去年はねぇ、最もタイヤを使ってないチームなんで、この会があったとしても呼ばれないだろうと思っていたんですけどね。呼ばれるための本数に達してないから(笑)。デビュー戦の鈴鹿も予選までで終わってしまったのでね。
途中参戦で、シーズン開幕から出たかったので、2008年に引き続きヴィーマックで出ることも考えたんですけど、残念ながらスポンサーとか、資金が集まらなかったんですよ。で、『今年はゆっくりとしようか』と思っていたら、この話が舞い込んできて、新しいクルマを作ることになりました。
3ヶ月余りで作った車が故に、開幕デビュー戦でいろいろとトラブルが出まして、その後も苦労して、苦労して、さぁこれから!って思ったらシーズンが終わってました。今年は石黒さんともあんまり顔を合わせられなかったなぁ」


―シーズン2勝を挙げたDAISHINの河瀬さんが挙げたベストレースは、やはり最終戦。

河瀬和弘さん (TEAM DAISHIN)
「ベストレースは、最終戦ですね。練習走行から流れが良かったですし。
去年は、周りからは『いつ勝つの』と言われるぐらいに、速いのに結果が出ないっていうのがずっと続いて、セパンに至っては決勝も出れなかった状態で。SUGOも流れが良く言っていたんですけども、せっかく履いたタイヤがもったいなくて外せなくて(苦笑)」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「雨が止まなければ、SUGOは勝ってましたよね。トップを走っていたから、変えられなかったっていうのもありますよね?」

河瀬和弘さん (TEAM DAISHIN)
「まぁシーズン後半、うまくまとまって、結果にもつながるようになりましたから」


―JIMGAINERの福田さんは、セーフティカーが明暗を分けた鈴鹿700kmを挙げてくださいました。

福田洋介さん (JIM GAINER)
「勝ったのはオートポリスですけど、予定どおりに行けていたのは、途中までは鈴鹿700kmですね。DAISHINさんだけをマークして、もう少し早めにピットに入る予定やったんですけど、マークしたがために、セーフティカーで泣くはめになりました。アレでちょっと、『今年は運がないのかなぁ』と思ってしまいましたね。開幕、石黒さんの言うとおりのタイヤの使い方をして、なんとか、ポールポジションを獲れたんで。
僕がサーキットに行き出したのが一昨年からなんですけど、全部石黒さんの言われるがままで。もてぎのタイヤテストから、うちのクルマは昨年から新車で、前のクルマとはずいぶん違うので、合わせこんでもらったというか。
そこから出てきたタイヤが結構クルマと合っていて、これだったらどこのサーキットへ行ってもいけるんじゃないのっていう、けっこうオールラウンドなタイヤを作ってもらえましたね。温度域も結構上から下まで行けてて、路面が変わってもそんなに変化がなく安定して。
タイヤが安定していたんで、クルマのセットも出しやすかったっていうのがありますね」
         
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