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奴田原文雄 選手
>> 公式サイト
初参戦のパイクスピークで大健闘を見せた哀川翔さん。
ドライビング・アドバイザー、さらにコ・ドライバーという大役をお引き受けした私としても、しっかりお役に立つことが出来たようで、私にとっても初めてのパイクスピークは素晴らしい経験となりました。
ところで今回の参戦で使ったタイヤはもちろんADVAN。
そしてYOKOHAMAという括りで見たときに、今回のパイクスにはとても注目を集めたエントリーがありました。
それはYOKOHAMAのSUVタイヤブランド「GEOLANDAR(ジオランダー)」のエース・塙郁夫選手がドライバーをつとめるTEAM GEOLANDAR。
なんと、過酷なパイクスに、電気自動車のレーシングバギーで参戦したのです。
パイクスのコースは、ターマック(舗装)とグラベル(砂利)が約半分づつという路面状況。ゆえにどちらに重きを置くかという戦略的な要素を含めて、タイヤ選択は非常に難しいといえます。

また山岳地帯という特殊なロケーション、そしてスタートとフィニッシュの間にある標高差がおよそ1,500mにもなることから、天候や気温の変化が激しいという点も過酷なレースを象徴している部分です。

チームによっては、スリックタイヤにカット(溝)を入れたものを選択したり、ロードタイヤだったり、ラリータイヤだったりと、どの区間に比重を置くかでそれぞれ作戦が違うようです。

この点、ADVANのラリータイヤには、ADVAN A036という、硬質グラベルからターマックまで守備範囲がとても幅広い、まさに今回のような競技にうってつけのタイヤが設定されています。
もちろんこのADVAN A036を装着して戦いましたが、優れたタイヤのパフォーマンスがタイムアップに大いに貢献してくれたことは言うまでもありません。
YOKOHAMA装着車としては、私たちのほかにも大いに注目を集めているチームがありました。
SUV用タイヤとして人気の高い「GEOLANDAR(ジオランダー)」をアピールするTEAM GEOLANDARです。

ドライバーは、世界各地で開催されるオフロードレースで活躍、幾多の栄冠を手中におさめてきた塙郁夫選手。
今回のパイクスにチャレンジするマシンは、オリジナル製作のEV(電気自動車)レーシングバギー。エキシビジョンカークラスに、唯一の電気自動車として参戦しました。

前後に電気モーターを装着した4WDのレースマシンで、変速装置を必要とせず、駆動はモーターからデフに直結というシンプルな作りで、塙選手曰く「とてもリニアな加速感」を見せるそうです。
電気自動車の要とも言える電池は、三洋電機製の特注リチウムイオンバッテリーをボディの両サイドに搭載していました。
おおよそのパワーは内燃機関に換算すると200馬力程度とのことです。

標高の高いところを走るパイクスの場合、ガソリンエンジンなどの一般的な内燃機関では、酸素が薄くなることによってのパワーダウンが避けられません。
これに対してはエンジンマネージメントなどで対応していくのですが、電気自動車のモーターは酸素が薄くなることの影響を全く受けないため、スタートからゴールまで安定したパフォーマンスを引き出すことが出来るようです。

塙選手にとって電気自動車では今回が初めての挑戦ということで、まだ改良の余地はあるとのことですが、電気自動車でのパイクス・レコード記録14分37秒に迫る、14分50秒(クラス2位)でゴールしました。

先に出走した塙選手は、ゴールで私たちを出迎えてくれ、お互いの健闘を讃え合いました。
このパイクス、登山道路が一本しかないために、全競技車両がゴールするまで山頂で何時間も待機していなくてはならないという、別の意味でも過酷なレースなのです。ゴールしたあとも、酸素の薄い標高4301mに留まっていなくてはならないという過酷さは、体験した人にしか分からないことだと思います。

そのために、多くのチームは、緊急用にと携帯用の酸素ボンベを車両に搭載していました。
もちろん主催者手配の救急車も待機していますけれどね。

TEAM SHOW「哀川選手」の今回のパイクスチャレンジは、衛星放送のテレビ番組として後日放送される予定で、多くのカメラマンやスタッフの方たちがチームに帯同していました。
大会当日は、レース開始前に撮影ポイントに移動しておかなければならないため、まだ暗いうちから登山道を上がり待ち構えることとなります。
なかでもゴールシーンを撮影するスタッフは過酷で、氷点下になる夜明け前の山頂に寝袋持参で待機、もちろん哀川選手のマシンがやって来るまでの間に休息するための車両などはないので、吹きっさらしの中で待ち続けなければなりません。

当日はコースアウト車両の排除などでスケジュールが大幅に遅れ、実際に私たちが山頂にゴールしたのは午後2時頃ですから、いったい何時間この標高4301mの山頂で待っていたのでしょうか?
再会したときは顔面蒼白でしたが、きっちりと撮影、インタビューをこなす姿には、プロ根性を見ましたね。

パイクスピークのコースも、数年後には、山頂までの全線が舗装されてしまうことが決定しているそうですが、次回はぜひドライバーとして走ってみたいものです!
         
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