哀川選手はラリーを始めてまだ1年ですが、忙しい仕事の合間を縫っては勢力的に地区戦や全日本戦のラリーに参加、昨年10月に開催された「RALLY JAPAN」にも参戦するなど、ラリードライビングの技術を磨いてきました。
ラリーを始めるきっかけとなったのは、ラリーを題材とした映画の主人公役を演じたことだそうですが、今ではすっかりラリーの魅力にはまってしまったそうです。
さて、パイクス3日間の公式練習では、ハイスピード・コースに対応するライン取りや、ステアリング・ワーク、ブレーキング・ポイントなどをサイドシートからアドバイスしながら、走行を繰り返しました。
それと並行して哀川選手仕様のペースノートを作成し、これもサイドシートで読み上げながらの、内容の濃い、とても充実した練習時間がもてました。
哀川選手に限らず、このパイクスに初参戦すると戸惑うことのひとつに、空や雲しか視界に入らないコーナーが多数出てくるということがあります。ガードレールもなく、先の状態も見えない高速ブラインド・コーナーをアクセル全開でクリアしていくには、経験や慣れも必要で、どうしてもアクセルを緩めがちです。
さすがに最初こそは、スピード・レンジのあまりの違いに戸惑っていた哀川選手でしたが、練習最終日には、私の読み上げるペースノートの指示に従ってアクセルを床まで踏みつけるドライビングをしてくれるようになりました。
このころになると、お互いの目的意識や信頼関係もしっかりと築かれたことが実感でき、サイドシートに乗っていても全く恐怖感はありません。普段ドライバーをしている自分としては「コ・ドライバーは怖くないんだろうか?」と、いつも疑問に思っていましたが、その答えを垣間見たような気がしました。
また哀川選手は、的確なアドバイスをしてあげると、それを即実践できるという能力があるようで、これはご本人も言っていたのですが、映画などで、監督の指示を演じる俳優の役割と非常に共通しているそうです。
どちらも、お互いの信頼関係がないと、いい結果は生まれないようです。
そうそう、最初に言い忘れていましたが実は数十年前、まだラリーを始めたばかりの頃に、私も一度だけコ・ドライバーとしてラリーに参戦したことがあるんです。
当時はアベレージ区間という、コ・ドライバーが主役のステージも存在していたのですが、そこを最小減点でクリアした者が貰える、「ベスト・ナビゲーター賞」というものを獲得し表彰された経験もあるんですよ。
いやあ、久しぶりにいい体験ができました。 これで将来、ドライバーを引退をしても、そこから先はコ・ドライバーとして、さらにラリー人生が延びましたね(笑)。