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/ Vol.70
News Index
2009年のSUPER GT開幕戦。82周の決勝レースは雨、路面はウェットコンディション。このレースを制したのがADVANとともにSUPER GTを戦う「H.I.S. ADVAN KODNO GT-R」である。
時にライバルを2〜3秒上回るペースでラップを重ね、勝利を支えたのがADVANが新たに投入したウェットタイヤ。このコーナーでは荒聖選手、そしてADVANの開発スタッフが、優勝に至ったタイヤ開発の歩みを振り返ります。
[Chapter 1]
"屈辱"を"闘志"に変えるタイヤ開発の第一歩
[Chapter 2]
強固な信頼関係から生まれる"強いタイヤ"
[Chapter 3]
留まることなく、今日も進化を続けるADVAN
−ドライバーに悔しい思いをさせたことが悔しかった
チェッカードフラッグが振り下ろされた瞬間、大歓声が一台のマシンを迎えた。
2009年4月12日、岡山国際サーキット。SUPER GT開幕戦は一日中雨が降る過酷な戦いとなったが、ライバルを大きくリードして栄光のウィニングチェッカーを受けたのが「H.I.S. ADVAN KONDO GT-R」。
昨年、一昨年とマレーシア・セパン戦と二連勝しているチームは、ファンの期待に応えて国内戦での初優勝を飾った。
「新たに開発したウェットタイヤのパフォーマンスを実証できて、勝った瞬間はホッとしましたね。」
横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ・リーダーの島田淳。SUPER GTに供給するADVANレーシングタイヤの開発におけるまとめ役である。
今回の開幕戦、ADVANは全く新しいウェットタイヤを投入して臨み、その緒戦で優勝を勝ち取った。
この勝利に至るまでに隠されたタイヤ開発ストーリー、それは男たちのあくなき挑戦のストーリーである。
ここで時計の針を2007年の夏に巻き戻してみよう。2007年8月19日の鈴鹿サーキット。伝統の鈴鹿1000kmは雨の一戦だった。
荒聖治選手が、あの時の悔しさを振り返る。
「あの時は最後のスティントで大雨が降ってきた。ラップタイムがライバルよりも9秒くらい遅くなってしまったのです。」
GT300クラスの上位マシンにも追いつかれるという屈辱。
レースを終えて荒選手、そしてJ-P・デ・オリベイラ選手と話をした後の島田も、悔しさに唇を噛んでいた。
「ドライバーは悔しかったのに直接怒りをぶつけられるとはいかず、我慢して自分たちに話しているというのが分かったのが、自分たちも悔しかった。
そういう思いをドライバーにさせたというのが、とても悔しかった。」
この悔しさこそが、今回の勝利へと繋がる出発点だったのである。
−自由にできたから、大胆なものにもトライできました
厳しい結果を受けて、開発陣はウェットタイヤのポテンシャルアップに向けて早速動き出した。
そして、まず最初にタイヤの本質ともいえるゴム、つまりコンパウンドの改良に着手したのである。
横浜ゴム・タイヤ材料設計部 材料設計4グループの中野秀一。コンパウンダーの立場で当時のことを振り返る。
「まずは一発を出せるゴムを目指しました。何をやっても、今以上に遅くなることは無いという開き直りもあって、島田リーダーからも自由にやらさせてもらえました。」
屈辱の一戦から約半年を過ぎた2007年のシーズンオフ。サーキットコースに、試作タイヤが持ち込まれて、荒選手がドライブ。
走り終えた荒選手から中野は声をかけられる。
「荒選手から『このタイヤ、いきなりグリップする!』と言われたのです。
その時乗ってもらったのは、従来とは配合を大幅に変えたものでした。だから荒選手のコメントを聴いて『あ、こっちの方向性なのかなぁ』と、光明が射したような感じでしたね。」
荒選手は、その時のことを振り返って次のように語る。
「それまでのタイヤは、スタートから徐々にタイヤが温まるに従ってグリップしていく感じでしたが、この時のタイヤはスタートからいきなりグリップしました。これだ、と思いましたね。」
中野が、この時に開発した内容について説明する。
「細かい部分はさすがに言えませんが(笑)、簡単に言うと"温度依存性"を無くした、ということです。
社内のいろいろな分野の人からも話をきいて生み出しました。」
こうして開発は一歩前進。
しかし、これは優勝に至る険しい道のりの、ほんの"入り口"にすぎないのである。
−次の段階はゴム以外の部分で進化させようと考えました
開発を牽引する島田は、この時点で手応えを感じながらも気を引き締め直していた。
「色々なトライがあって、2008年5月の富士戦で新しいタイヤを投入しました。その時はタイムも出せましたし、グリップレベルも上がってきたことを確認しました。
しかし、まだライバルに比べるとウェットでは1〜2秒遅れていたのです。」
ここから開発は加速した。サーキットコースに散水車で水を撒いてウェットコンディションを作り出し、テスト走行を重ねる。
そして2008年の最終戦、新作タイヤは成果と課題の両方を島田に見せる結果となった。
「2008年の9月に行ったテストでポテンシャルを確認したタイヤを、同年最終戦の富士に投入しました。
予選はSUPER LAPに進出するなどの成果を挙げましたが、決勝でのパフォーマンスが不足していた。具体的には好タイムは出せるのですが、連続走行すると他車に遅れをとり始める。耐久性という面が課題として現れました。」
コンパウンドを担当する中野も、やはり同じような視点で最終戦の結果を受け止めた。
「それまでのテスト結果を総合して良いものが出来上がりました。最終戦・富士の予選では2位という結果を残しましたし。
これで『このタイヤは使える』と思った反面、一発のタイムは出せるけれど決勝で持つのかという不安もありました。」
結果的にレースは気温の低い悪条件下で行われた。KONDO RACINGは予選から好調、決勝序盤も作戦も功を奏して上位争いの一角を占めていたが、惜しくもマシントラブルで後退を余儀なくされてしまった。
2008年の戦いが終わり、カレンダーはオフシーズンに入る。
「最終戦の富士ではタイヤの"弱い部分"も指摘をもらいました。
そこの部分についてはコンパウンドではなく、他の要素で進化させていきましょう、という考えでオフシーズンを過ごしました。」
島田がこう語るように、タイヤ開発にオフシーズンはない。
むしろオフシーズンこそが開発の本番、来る開幕の日に向けてADVANレーシングタイヤの進化が加速していったのである。