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HOME / MOTORSPORTS / ADVAN FAN / Vol.64 News Index
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[Chapter 1]
チームでの"お仕事"
[Chapter 2]
2008年・私のベストレース
[Chapter 3]
ドライバーの"通信簿"
[Chapter 4]
タイヤ造りに"懸ける思い"


Chapter 2
SUPER GTのGT300クラスを戦うADVAN装着チームのエンジニア&監督が集まっての新春座談会。
7人のエンジニア&監督の皆さんに、横浜ゴムでGT300のタイヤ開発を担当する2人のエンジニアを加えた9人が和気あいあいとした雰囲気の中で本音トークを繰りひろげます。
 
【ADVAN ENGINEER】
石黒 禎之
横浜ゴム株式会社
モータースポーツ部
技術開発1グループ
GT300担当エンジニア
中野 秀一
横浜ゴム株式会社
タイヤ材料設計部
材料設計4グループ
コンパウンダー


2008 My Best Race
SUPER GTのGT300クラスを戦うADVAN装着チームのエンジニア&監督が集まっての新春座談会。
7人のエンジニア&監督の皆さんに、横浜ゴムでGT300のタイヤ開発を担当する2人のエンジニアを加えた9人が和気あいあいとした雰囲気の中で本音トークを繰りひろげます。

では前回お届けした皆さんの自己紹介に続いては、昨年・2008年シーズンを振り返って、皆さんにとっての"ベスト・レース"を選んでいただき、その理由などについてお聞きしていきましょう。
まずは2008年、歴史に残る快挙を成し遂げたRACING PROJECT BANDOHの坂東さんからです。


坂東正敬さん (RACING PROJECT BANDOH)
「ウチは常に色々な話題を提供してきましたからねぇ(笑)。
やはり結果から言えば、昨年のベスト・レースは第7戦のもてぎ。最後尾スタートから大逆転優勝ということで、目立ち度はナンバーワンでした。もっとも、実はあれって演出した結果なんですけれどね(笑)。
もてぎはレース前に僕が神社で厄払いをしてきたんです。そうしたらいきなりの優勝ですから。レース的にも阿部翼選手が良い働きをしてくれて、大いに優勝に貢献してくれました。
あとは石黒さんが造ってくれたタイヤ、これももちろん良かったですね(笑)。」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「そこ、大事なところですからね(笑)。」

澤田 稔さん (R&D SPORT)
「坂東さん、予選の後に御祓いして、決勝で勝ったんじゃないですよね?
もしそうなんだったら、どこの神社で御祓いしてもらったのかを聞いておかなくちゃ(笑)。」
−さすがに予選後に御祓いをしたというわけではないが、レース前に神社を訪れた御利益もあったのか、SUPER GT史に残る快挙をベスト・レースに選んだ坂東さん。
しかし快挙といえば、TEAM DAISHINの活躍も忘れられないものでした。

河瀬和弘さん (TEAM DAISHIN)
「私にとっては第5戦のSUGOが2008年のベスト・レースですね。
青木君(青木孝行選手)が、レースウィークが始まると私の仕事を色々と作ってくれたのですが(笑)、アクシデントの結果で予選タイム抹消になってしまいました。
最後尾からの決勝スタートでしたが、波乱のレースウィークも終わってみたら2位表彰台獲得を成し遂げられました。
周りから"この追い上げは凄い"と言われ続けましたが、その後には坂東さんのところが最後尾から優勝まで行きましたから、ウチがちょっと霞んでしまったかな?(笑)。」
ともに最後尾スタートから驚異的な猛追劇を見せたレースをベストに挙げた両チーム。
このお二人の話を聞いていたTeam UEMATSU NOVAの鬼木さんは、少々困惑気味の表情を浮かべています。

鬼木秀和さん (Team UEMATSU NOVA)
「う〜ん、前のお二人に優勝とか準優勝なんていう話をされちゃうと、ウチはどうしたらいいかなぁ・・・。」

困り顔の鬼木さんに、R&D SPORTの澤田さんが鋭いツッコミ。

澤田 稔さん (R&D SPORT)
「1998年の・・・、とか言うのはナシですよ!あくまでも2008年のベスト・レースなんですから(笑)。」

鬼木秀和さん (Team UEMATSU NOVA)
「そうそう、ペトロ・デ・ラ・ロサがね・・・、じゃなくて!
そうですねぇ、ウチは2008年も含めて振り返ってみると、石黒さんのお蔭もあってマレーシアが良いんですよ。
2007年は表彰台を獲得しましたし、昨年も4位でフィニッシュしました。車も上手く仕上げられたし、ドライバーの二人も凄く攻めた走りで、表彰台争いをRE雨宮さんと最後まで演じる実力を見せましたし。
最後は最終ラップの最終コーナーでガス欠症状が出てしまったのですが、エンジニア個人としては紙一重のところ、要するに燃費計算などのレースコントロール的にギリギリまで"攻めた"結果なので、ひとつの"美学"が形になったという面もあるんです(笑)。」
エンジニアの"美学"を語ってくれた鬼木さん。
さて、次はそんな鬼木さんにツッコミを入れていた澤田さんのベスト・レースとは?

澤田 稔さん (R&D SPORT)
「僕がレースを始めたのは今から○×年前の・・・、って、そんなこと聞いてないって!?
そうそう、昨年のベスト・レースについてでしたね(笑)。正直なところ、個人的には"これだ!"というベスト・レースが無かったのですが、苦しい戦いの中でひとつ挙げるとしたら第6戦の鈴鹿1000kmですね。実はこのレースが一年を通じて振り返ってみて、もっとも楽に出来たレースだったんですよ。
表彰台は届きませんでしたが、トータルで長丁場をしっかり戦えてチームのポテンシャルが高いところにあることを改めて確認できました。
2009年は全戦、最低1000kmでやってみるというのはどうでしょうか。そのうえで第6戦は24時間レースにするとか(笑)。
あとは結果として表彰台を獲得できた最終戦。この結果が無ければ、今日この場には呼ばれていなかったかもしれませんし!?」

石黒禎之 (横浜ゴム・モータースポーツ部 技術開発1グループ)
「(澤田さんに小声で) ウェット! 最終戦はウェットタイヤが良かったって言ってよ!」

澤田 稔さん (R&D SPORT)
「ウェットガ・・・、トッテモ・・・、ヨカッタデス・・・(笑)。
いや、でも本当に冗談抜きで最終戦はウェットタイヤの良さが結果につながりました。」

澤田さんが担当するヴィーマックは2008年の開幕戦、予選で大クラッシュを喫するという波乱のシーズンインとなってしまいました。このことについて、皆さんから澤田さんに「あの時は澤田さん、泣いてましたよね」、と"ツッコミ"のお返しが。

澤田 稔さん (R&D SPORT)
「いや、悲しいけれど、泣けないですよ。もう、あの時はドライバーが無事かということの方が真っ先に気になりましたから。
さすがにあれだけ大きなクラッシュをしてしまうと、色々な意味で一年間尾を引いてしまう部分もありましたね。」

渡邉信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「ウチは、あの時まさに予選アタックラップ中だったんですよね・・・。
走っていた加藤寛規選手から『なんか大変なことになってる!アタック台無しになっちゃったけれど、可哀相で怒れないよ〜』って無線が入ったんですよ。」

河野高男さん (RE雨宮レーシング)
「ウチなんか、まだコースインしていなかったし(笑)。」
思わぬ"場外バトル"で澤田さんにツッコミを入れ返した渡邉さんに、続いてベスト・レースをお聞きしましょう。


渡邉信太郎さん (Cars Tokai Dream28)
「ベスト・レースとはちょっと意味合いが違ってしまいますが、個人的に印象深いレースということで鈴鹿1000kmを挙げたいですね。
結果はリタイアでしたが、それまでの間は全て予定通りに進んでいました。それに何よりもタイヤが良かったんです。他のチームよりも黒さが濃かったのかも!?(笑)。
あの時は前半を走った加藤寛規選手が、余裕の表情で交代後にシャワーを浴びに行きました。でもピットに帰って来たらリタイアになっていて『何、これ!?』と。状況を把握するのにちょっと時間がかかってしまった、そのくらいスムーズにレースをしていたんです。
成績としては優勝争いを演じて2位になった開幕戦がありますが、あれはシーズンイン前から周到に準備を進めた結果。全体から見れば良いレースになるでしょうが、自分たちとしては普通に戦った結果という印象なんですよ。」
その開幕戦で優勝を飾ったのがRE雨宮。河野さんはやはり開幕戦をベスト・レースに選ぶのでしょうか。


河野高男さん (RE雨宮レーシング)
「鈴鹿1000kmをベストに選ぶ方が多いですが、実は私にとってのベスト・レースも同じなんですよ。あの長丁場で燃費的に不利なウチが3位になるなんて、皆さん想像もされなかったのではないでしょうか。
給油のために皆さんより1回多い5回のピットストップをしたのですが、3位表彰台を獲得。ウチの場合、実は1000kmって作戦の選択肢が無いんですよ。
要するに5回ピットでさえも燃費的にギリギリ。1周でも間違えると最後はガス欠になってしまうくらいにシビアなんです。昨年だってレースを終えて燃料タンクに残っているガソリンは1リットルくらいしか無かったんじゃないかな。
そんな状況の中でドライバーは燃費走行を含めて頑張ってくれましたし、ピットでもロスなく確実な作業をスムーズに出来た、その結果が3位表彰台につながりました。
あと、シーズンを通じてタイヤが一度もタレることが無かった、この点もぜひ皆さんに知っていただきたいところですね。」
偶然にも三人の方が鈴鹿1000kmを最も印象に残ったレースとして挙げてくれました。
さて、最後にフェラーリで戦うJIMGAINERの栗山さんは、果たしてどの大会がベスト・レースになるのでしょう。


栗山浩行さん (JIMGAINER)
「成績としてはポールポジションを獲得したオートポリス。
ですが、私にとっても鈴鹿1000kmが2008年のベスト・レースになったんです。
なぜなら、ウチは何年もレースをやってきていますが、これまでは外注さんの力が大きなウェイトを占めていた部分もありました。これを2008年からは、主要メンバーを自前で揃えて戦うチーム体制にしました。
一人一人が試行錯誤の中で力をつけていって結果に結びついたのが鈴鹿1000kmだったんです。
7位という結果自体は平凡なものだったかもしれませんが、過酷な真夏の長丁場をしっかりノントラブルで完走出来たというのは、とても大きな成果でした。
もちろんその成果の背景には、石黒さんのお蔭で良いタイヤを供給していただけたこともあります。ここ、大事なところですよね。」
一人のエンジニアや監督として、成績だけに捕らわれない独自の視点で選んでいただいたベスト・レース。
偶然にも鈴鹿1000kmを挙げる方が多かったのは、シリーズ最長の一戦としてチームの総力戦という面が一層重視される大会だからなのかもしれません。

新年会ということで用意されたお酒も程よくまわり、皆さんの饒舌ぶりもヒートアップ。
次回はチームのまとめ役である皆さんに、それぞれのドライバーについてお聞きしています。
>> Chapter 3 ドライバーの"通信簿"
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