して1993年、HKSさんがグループAに参戦することになって、羽根幸浩選手の相棒として私にもステアリングを委ねてくれることになりました。
マシンはR32型の日産スカイラインGT-R、当時人気絶頂のグループAは国内トップドライバーやワークスチームが名を連ねる国内ツーリングカーのトップカテゴリー。そこにプライベーターとして参戦するHKS、タイヤはもちろんADVANを装着していました。
私は横浜ゴムの社員でもありましたが、サーキットではレーシングドライバーとして時にはタイヤに対して厳しいコメントをすることもありました(笑)。しかし、切磋琢磨を重ねてタイヤも凄い速さで進化を遂げ、迎えた1993年第3戦のスポーツランドSUGOで劇的なレースを繰り広げることになるのです。 |
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993年5月16日の「全日本ツーリングカー選手権第3戦・SUGOグループA 300kmレース」。
羽根選手と私が走らせる「HKS SLYLINE」は前日の予選でポールを獲得して話題を集めていました。
しかし大方の見方として「プライベーターのHKSがポールを獲得したのは凄い成果だが、決勝では後退するだろう」というものでした。
自分たちはポール獲得のメリットを最大限に活かすために搭載燃料を少なめで羽根選手がスタートして前半にマージンを稼ぎ、私が担当する後半ではマージンを守って逃げきるという作戦に出ました。
しかし羽根選手がスタートして、36周目のピットインでのマージンはたったの3秒。
あとで聞いたのですが、この時カルソニック勢も同じ考えで、前半を影山選手、後半はアンダース・オロフソン選手で後半での逆転を狙った作戦だったようです。 |
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ットインまで全く同じタイミング。すなわち後半40周、3秒差状態からスタートする私とオロフソン選手の一騎討ちです。ちなみにオロフソン選手は1991年のグループAや1990年のグループCでシリーズチャンピオンに輝いた名選手、何とも言えない緊張感が僕を支配していました。
しかし3秒差のまま必死に周回を重ねると、残り10周になっても思ったよりも差を詰めてこないのです。そこで「だったらもうちょっと差をつけてやろう」なんていう色気を出してしまったんですよね(笑)。
ハイポイントコーナーへの進入でブレーキを遅らせたのですが、ブレーキを踏んだ途端にスピンモードになってしまい、なんとかコースへは復帰したものの立場が入れ代わって9秒追う側になってしまいました。
必死にベストラップを連発して追い続け、いよいよ残りは僅か4周に。
この時、突然に前を行くカルソニックスカイラインの後ろ姿がハッキリ大きく見えるようになったのです。 |
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ラブル発生か!?と思っていると、馬の背コーナーにタイヤロックさせて白煙をあげながら入って行ったのです。
「これは逆転できる!」と、それまで自分のミスでションボリしていたのが一転、俄然元気になりました(笑)。
追って、追って、追いかけまくって、遂に最終ラップに入った1コーナーでテール・トゥ・ノーズに持ち込みました。
S字コーナーでイン側にノーズを入れたら、さすがに相手も締めてきて軽く接触。
「焦るな、絶対に抜ける」と自分に言い聞かせて走り、先程自分がスピンしたハイポイントコーナーにやってきたのです。
ここでオロフソン選手が挙動を乱し、その隙にインに飛び込んでバックストレートはサイド・バイ・サイド状態で走り、馬の背コーナーのブレーキングで前に出ることに成功。
その瞬間はオーロラビジョンで伝えられていたそうで、観客席は凄いどよめきに包まれたそうです。 |
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終コーナーを先に立ち上がってきた私を見て、ピットも大喜び、というか大騒ぎになりました。
チェッカーを受けて、マシンから降りると色々な人からモミクチャにされましたね。
「感動で泣けましたか?」と良く聞かれますが、全然泣けなかったのです。涙が出る以前に嬉しさのあまり顔が緩んでどうやっても笑ってしまうんですよ。「ヘラヘラ」しているという感じですね。
そして嬉しさを倍増させたのがオロフソン選手がかけてくれた「Good Driving!」という一言。これには感動しましたね。
もう、とにかくチェッカーを受けたあとのウィニングラップから幸せすぎて、あんなに幸せなことって人生の中でそう経験することは無いんだろうな、と思います。 |
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勝した翌日はサラリーマンですからちゃんと出社しました。
でも、フォーミュラミラージュでシリーズチャンピオンを獲得した年にあったパーティ出席のために仕立てた「ピンク色のスーツ」を着ていきました。
会社の同僚たちが拍手で迎えてくれ、社内の館内放送でも私の優勝が伝えられました。
花輪も色々なところからきていて、あるプロドライバーさんからは「サラリーマンに負けちゃったな」というメッセージも添えられていましたね(笑)。
会社から資金面などで支援を受けていたわけではないので、純粋なサラリーマンとしてここまでの成績を修めたレーシングドライバーというのもいないのではないかと思います。
そして、こうした経験は現在の仕事にもとても役立っています。
私はフォーミュラの経験が長いので、ストイックに速く走ることだけを追求して作られた車をたくさん見てきました。
それは究極の機能美とも言えるもので、モータースポーツから機能美を学び、自分なりの格好良さの基準というものが醸造されてきています。
その基準は自分が作っているアルミホイールのデザインにも当然当てはまっています。
YOKOHAMAのアルミホイールは「流行に捕らわれたり流されたりすることなく、YOKOHAMAらしい流れを大切にして」作っています。
言い換えれば「自分自身がモータースポーツで培った経験や知識を基にして、持っている格好よさの基準に対して正直に作り続けている」ということなのです。 |