第60回 マカオ・グランプリ トップページへ戻る 第60回 マカオ・グランプリ
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マカオ・グランプリの概要 開催レース・カテゴリー解説 戦いを支えるヨコハマタイヤ スペシャル・インタビュー 現地速報&総集編レポート
スペシャル・インタビュー
マカオのF3グランプリには、これまでに多くの日本人が参戦している。その中には、マカオでの経験も活かしてドライバーとしての腕を磨き、今やトップドライバーとして国内外で活躍している顔ぶれも多い。
このコーナーではそんなドライバーの一人である、片岡龍也選手にお話しをお聞きした。

1979年・愛知県出身の片岡選手。12歳でレーシングカートのレースにデビュー、全日本カート選手権のFSAクラスで2年連続のチャンピオンを獲得して頭角を現す。2000年にはFTRS(フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール)のスカラシップに選出され、フォーミュラ・トヨタを経て2002年から全日本F3選手権に参戦。2年目となる2003年にマカオ・グランプリへの参戦を果たした。

片岡選手は当時を振り返りながら、マカオF3グランプリに抱いていた思いを次のように語る。

「マカオ・グランプリは、F3に関して言えば世界の登竜門として知られています。F3という同じ規定のマシンを使う、世界のトップドライバーたちが競い合う場所という認識を、私も持っていました。

また、日本にいる限りは経験することのできない、市街地レースであるということも特徴ですよね。
一般公道をクローズして設けられるギア・サーキットは攻略が難しいですし、走行もレースウィークの限られた時間の中でしか許されません。

そんな中で、世界のドライバーたちの中で自分がいったいどういう位置にいるのか、ということを知るための“物差し”がマカオ・グランプリだと思っていました。そういう意味では、とても分かりやすい位置づけのレースだな、という印象もありましたね」
2003年、マカオF3グランプリへの参戦が決まった片岡選手。参戦を告げられたときの思いは、どのようなものだったのだろうか?

「期待と不安が入り交じった……、というよりは、なにしろ当時はこれから前に進むだけしかない若さだったこともあるので、参戦が決まってからは期待だらけでしたね(笑)」

レースウィークを迎えて、マカオへと降り立った片岡選手。コースは普段は一般公道ゆえ、練習走行はレースウィークの限られた時間しか許されない。事前に何か対策はして行ったのだろうか?

「今だったら、日本で事前にシミュレーターを使ってコースを疑似体験することができますよね。でも当時は、誰がドライブしているのかもよくわからないような、画質も決して良くない車載ビデオをどこからか手に入れて、それを何度も見てコースを覚えました」

そして実際にマカオに着いての印象は、どうだったのだろう。

「事前に映像を見ていたとはいえ、やはり実際に走ってみなければわからないことが多かったですね。それから、市街地ならではの圧迫感がスピード感をより高めるので、最初はドキドキした覚えがあります。
現地に入ったら、まずはレンタカーなどでコースになる道を走ってみました。でも乗用車はアイポイントが高いので、比較的遠くまで先を見渡せます。ところがF3はアイポイントがガードレールよりも低いので、先もほとんど見えません。本当に壁とガードレールに囲まれた中を走るのです。それに一般公道というこいとで、サーキットに比べて走りはじめのうちはダストも多いのです。

今だったら経験があるので色々なことを考えられるのですが、当時はまだ経験値も少ない。短い時間の中で世界のトップ達と競い合って自分の名前を売りたいという気持ちも強いので、プッシュしていかなければならないし、でもちょっとでもやり過ぎるとクラッシュにもつながってしまう。
練習も限られた時間しかできない中で、本当に攻略の難しい、度胸もテクニックも試されるエキサイティングなコースであることを実感しました」
当時は現在と異なり、決勝が第1レグと第2レグの合算で競い合う方式となっていた。第1レグ、片岡選手はファビオ・カルボーン選手との激しい3位争いを演じていたが、リスボアコーナーで2台並びからスピンを喫してしまい、エンジンが再始動せずにリタイアを喫してしまう。
第2レグは最後尾スタートとなったが、怒濤の追い上げでシングルポジションまで躍進。しかし、こちらも残念ながらクラッシュによりリタイアという結果になってしまった。

「第1レグは、リスボアコーナーにカルボーン選手と2台並びで入ったのですが、私はアウト側から行こうとしたらガードレールに少し寄り過ぎてしまいました。それでコースの端にある砂ぼこりにタイヤが乗って、スピンしてしまったのです。さらにそういう時に限って、セルモーターが回らなくてリタイアとなってしまいました。

第2レグは合算制だったので、何周も遅れた状態からの最後尾スタートでした。こちらは捨て身の走りで6位くらいまで追い上げましたが、最後はぶつかってしまいました。

やりきった感はありましたが、せめて第1レグでエンジンがかかって同一周回で走れていれば、第2レグの展開も違っていただろうな、という思いがありますね」

決勝の模様を振り返ってくれた片岡選手。2013年、今現在の片岡選手が、2003年当時のご本人に何か一言アドバイスを出来るとしたら、どのようなことを伝えるのだろうか?

「そうですね、『もっと手前からアプローチしていけ』と。どうしても気持ちがイケイケになってしまうのですが、タイムがどう変化するかは分かりませんが、もっと確実に安全に行った方がいいよ、と言いますね。そうしていれば、決勝も違うかたちになっていたと思いますし」

当時、全日本F3選手権は他社メーカー製のタイヤで競われていた。つまり、シリーズを戦った片岡選手も、マカオF3グランプリで初めてヨコハマタイヤを装着したF3で戦うことになったのだ。

「タイヤについては、全日本は常設サーキットでマカオは市街地という大きな違いがあるので、直接の比較は難しいですね。でも、当時の印象として市街地でも良くグリップするな、と思ったことは良く覚えています。コントロール性も全然問題がなくて、ヨコハマタイヤになって難しかったということはひとつも無かったですね」

現在の片岡選手はSUPER GTにはじまり、国内外で多彩な活躍を見せているのは改めて説明するまでもないだろう。そんなトップドライバーの一人である片岡選手のレース史にとって、マカオF3グランプリへの参戦はどのようなものなのかを最後にお聞きした。

「私自身にとってのマカオF3。あの当時として凄く刺激的なマカオを経験させてもらって、度胸がついたレースでしたね。その後、ニュルブルクリンクやル・マンなどいろいろなサーキットを経験してきていますが、やはりマカオを超えるコースというのはなかなか無いですね。
今の自分にとって、若いうちにマカオを戦ったことは、本当に大きな経験値となっています」


マカオで試される、若きドライバーたちのテクニックと度胸。先の見えない壁とガードレールに囲まれたチャレンジングなコースを駆け抜けた、その先には栄光が待ち受けているのだ。
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