当時は現在と異なり、決勝が第1レグと第2レグの合算で競い合う方式となっていた。第1レグ、片岡選手はファビオ・カルボーン選手との激しい3位争いを演じていたが、リスボアコーナーで2台並びからスピンを喫してしまい、エンジンが再始動せずにリタイアを喫してしまう。
第2レグは最後尾スタートとなったが、怒濤の追い上げでシングルポジションまで躍進。しかし、こちらも残念ながらクラッシュによりリタイアという結果になってしまった。
「第1レグは、リスボアコーナーにカルボーン選手と2台並びで入ったのですが、私はアウト側から行こうとしたらガードレールに少し寄り過ぎてしまいました。それでコースの端にある砂ぼこりにタイヤが乗って、スピンしてしまったのです。さらにそういう時に限って、セルモーターが回らなくてリタイアとなってしまいました。
第2レグは合算制だったので、何周も遅れた状態からの最後尾スタートでした。こちらは捨て身の走りで6位くらいまで追い上げましたが、最後はぶつかってしまいました。
やりきった感はありましたが、せめて第1レグでエンジンがかかって同一周回で走れていれば、第2レグの展開も違っていただろうな、という思いがありますね」
決勝の模様を振り返ってくれた片岡選手。2013年、今現在の片岡選手が、2003年当時のご本人に何か一言アドバイスを出来るとしたら、どのようなことを伝えるのだろうか?
「そうですね、『もっと手前からアプローチしていけ』と。どうしても気持ちがイケイケになってしまうのですが、タイムがどう変化するかは分かりませんが、もっと確実に安全に行った方がいいよ、と言いますね。そうしていれば、決勝も違うかたちになっていたと思いますし」
当時、全日本F3選手権は他社メーカー製のタイヤで競われていた。つまり、シリーズを戦った片岡選手も、マカオF3グランプリで初めてヨコハマタイヤを装着したF3で戦うことになったのだ。
「タイヤについては、全日本は常設サーキットでマカオは市街地という大きな違いがあるので、直接の比較は難しいですね。でも、当時の印象として市街地でも良くグリップするな、と思ったことは良く覚えています。コントロール性も全然問題がなくて、ヨコハマタイヤになって難しかったということはひとつも無かったですね」
現在の片岡選手はSUPER GTにはじまり、国内外で多彩な活躍を見せているのは改めて説明するまでもないだろう。そんなトップドライバーの一人である片岡選手のレース史にとって、マカオF3グランプリへの参戦はどのようなものなのかを最後にお聞きした。
「私自身にとってのマカオF3。あの当時として凄く刺激的なマカオを経験させてもらって、度胸がついたレースでしたね。その後、ニュルブルクリンクやル・マンなどいろいろなサーキットを経験してきていますが、やはりマカオを超えるコースというのはなかなか無いですね。
今の自分にとって、若いうちにマカオを戦ったことは、本当に大きな経験値となっています」
マカオで試される、若きドライバーたちのテクニックと度胸。先の見えない壁とガードレールに囲まれたチャレンジングなコースを駆け抜けた、その先には栄光が待ち受けているのだ。