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GT500 Class GT300 Class =vol.1= GT300 Class =vol.2=
今、日本で最も熱い戦いが繰り広げられ、また絶大なる人気を誇るSUPER GT。

その中でGT500は、日本を代表する自動車メーカーが威信をかけ、挑むことで知られる。最新の技術が駆使されて極められたマシンは、世界最速のツーリングカーと呼ばれるほど。

GT500マシンのハイパフォーマンスを支えるタイヤは、何より勝敗を左右する重要なファクターだ。強力なライバルも数多く存在する激戦区に、2012年も栄光を目指してヨコハマタイヤのADVANレーシングタイヤが挑む!
 
近年、世界的な傾向として、タイヤをワンメイクとするレースが増えている中、SUPER GTはタイヤにもコンペティションが求められるレースだ。現在、GT500においては4メーカーが参戦する激戦区に、ヨコハマタイヤはADVANレーシングタイヤでシリーズ初年度から挑み続けている。

もちろんタイヤのみならず、自動車メーカーによる戦いも激しく、その意味ではチームも含め三位一体となってコンペティションレベルを高めていかなければ、とうてい結果など求め得ず。そこに世界最速のツーリングカーレースと呼ばれる由縁がある。

昨年は大震災の影響でレース距離が短縮されていたが、これが戻されて多くのレースが300kmに、また夏の鈴鹿ラウンドは1000kmレースが復活。また、年々さまざまな要素が進化して速さを増していく中、今年はリストリクター径の2ランク拡大もはかられた。

そのことが意味するのは、よりコンベンショナル戦いになり、なおかつスピードアップするということ。
もはや現状維持では最後まで走り抜くことさえ許されず、著しい進化が求められる。少しでも方向性を見誤れば、たちどころにライバルに寝首をかかれてしまう。

そんな熱き戦いをヨコハマタイヤは、引き続きニッサンGT-Rを走らせるKONDO Racing、そしてレクサスSC430を走らせるLEXUS TEAM WedsSport BANDOHの2チームとともに繰り広げていく。勝利を、そして栄冠を目指して!
 
KONDO Racingの発足は2000年。近藤真彦代表が自らの芸能界デビューから20年、レーシングドライバーとしても15年目という節目のシーズンに設立された。
当初は自身も、そしてフォーミュラ・ニッポンにのみ挑んでいたが、2シーズン目からは監督に専念。'06年からはSUPER GTにも参戦を開始し、その頃からヨコハマタイヤとともに戦い続けている。

もっとも、近藤監督とヨコハマタイヤのタッグ開始は'03年にさかのぼる。
KONDO Racingとしては'01年から参戦していたル・マン24時間を、この年初めてヨコハマタイヤがサポート。そこで築き上げた信頼関係があったからこそ、近藤監督はSUPER GT参戦にあたり、迷うことなくヨコハマタイヤをチョイスした。

初年度のランキングは12位。健康上の問題により、エースのエリック・コマス選手をシーズン途中に荒聖治選手と代える波乱はあったが、ピンチをチャンスに変えて最終戦では柳田真孝選手と荒選手は3位入賞。
新チームでありながら、戦える能力を示して新たに挑んだ'07年は、引き続き荒選手を、さらにジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手を新たに起用。タイヤが何より鍵を握るとされる、マレーシア・セパンサーキットで行われた第4戦で初優勝を飾る。

同じコンビで挑んだ'08年にも第4戦・セパンで優勝。KONDO Racingがセパンマイスターとの評価を授かることとなる。そして、オリベイラ選手と荒選手のコンビ3年目となる'09年には、岡山国際サーキットが舞台の開幕戦で優勝。ランキングも8位に。

オリベイラ選手と安田裕信選手のコンビに改められた'10年にも、再び鈴鹿サーキットが舞台の開幕戦を制覇。
だが、2年目から年に1勝を確実に挙げてきたKONDO Racingにとって、'11年は試練のシーズンとなった。安田選手とビヨン・ビルドハイム選手による新コンビは全戦で完走果たすも、優勝には恵まれず。だからこそ、今年にかける思いは強烈に強い。

「今年はオフの間にヨコハマタイヤとともに1000本のタイヤを、セパンに持ち込んで2回テストしてきました。その結果、いい方向のタイヤがたくさん見つかったし、チャンピオンを狙えるぐらいの戦い方ができるようになりました。
昨年はニッサンが強かったので、今年は同じニッサンの我々が連覇を目指します」と近藤監督は力強く語っている。
Driver Profile =Hironobu Yasuda=
今やエースとして風格も漂わせるようになった安田裕信選手は、滋賀県出身の28歳。
全日本チャンピオンにも輝いたカートレースをルーツに、'03年からフォーミュラを戦い始め、以来着実なステップアップを果たして、今年からフォーミュラ・ニッポンにもKONDO Racingから出場することに。

SUPER GTには'06年からGT300に出場、'08年に獲得したチャンピオンを手土産に、GT500にステップアップし、KONDO Racingには'10年より加入。
Driver Profile =Bjorn Wirdheim=
ビヨン・ビルドハイム選手はスウェーデン出身の32歳。
'01年にドイツF3でランキング3位に入り、翌年から2年間、国際F3000を戦って、'03年には3勝を挙げてチャンピオンを獲得。'04年にジャガーF1チームのテストドライバーを務めた後、米チャンプカーを経て、'06年に来日。

以来、'07年までフォーミュラ・ニッポンを戦い、また'07年からはSUPER GTに挑み続けている。最上位は'10年のランキング4位。一発よりも安定したドライビングを身上とする。
 
RACING PROJECT BANDOHのレースとの携わりは、1980年代にさかのぼり、母体となる坂東商会がTE27型・カローラやKP47型・パブリカでTSレースや耐久レースに出場していた頃から。現在はGTアソシエーションの代表を務める坂東正明会長が、当初は自らステアリングを握っていた。
'90年、正式にチームを発足。以来、一貫してツーリングカーによるレースを戦い続けている。その頃から使用するタイヤは絶えずヨコハマタイヤのADVANレーシングタイヤだ。

グループA、そしてスーパーツーリングによる全日本ツーリングカー選手権を戦った後、JGTC(全日本GT選手権)には'97年から出場。織戸学選手と福山英朗選手の駆るシルビアはGT300クラスにおいて、いきなり開幕戦を制した後、全戦で表彰台に立ったばかりか、最終戦でも勝ってチャンピオンを獲得する。

'99年はJTCCで使用していたコロナ・エクシヴの主要ユニットを移植したセリカで参戦、第4戦からの出場だったにもかかわらず、ランキングは2位。なお、この年以降の車両は、すべてトヨタ車となる。
毎年のようにタイトルを争うのだが、あと一歩のところで涙を飲むことも多かったのだが、転機は'08年に訪れる。

セリカに変えて投入したニューマシン、レクサスIS350はフォーミュラ・ニッポンのエンジンをミッドシップに積んだ意欲作。
しばらくは産みの苦しみを味わうも、熟成が進むにつれ、戦闘力を増して第5戦ではポールポジションを獲得。第7戦のもてぎでは、車両規定不適合が見つかり、予選タイムが無効になって最後尾スタートを強いられたものの、織戸選手と阿部翼選手が激しい追い上げを見せてトップに浮上。史上初となる最後尾からの優勝を飾る。

そして、織戸選手と片岡龍也選手が新たにコンビを組むこととなった'09年は、まさに勝負のシーズンに。
岡山での開幕戦を制した勢いを最後まで維持し、全戦で入賞、表彰台にも4回上って、チームとしては12年ぶりの王座獲得に成功する。

そして、昨年からついにGT500クラスに進出。
片岡選手と荒選手のコンビでレクサスSC430を走らせることになり、また参戦決定から短期間で準備が進められたため、本来は開幕戦に間に合わない可能性もあったが、大震災の影響でシーズンのスタートが遅れたことが幸いする。
その最初のレースとなる富士で、悪天候の中、いきなり3位入賞を果たして注目を集めることとなった。とはいえ、新体制への洗礼は強烈で、その後の入賞は2回きり。ランキングも13位に留まっている。

今年は片岡選手に代えて、アンドレ・クート選手が荒選手のパートナーに。外国人ドライバーを起用するのは初めてながら、これがチームの血流を整えることも期待されている。
ちなみに、開幕戦では入賞こそ果たせなかったとはいえ、タイヤ無交換作戦を選ぶなど、戦術面には非常に長けており、これからもアッと言わせるような展開が望まれる。

なお、長らくチーム監督は坂東正明氏が務めてきたが、GTアソシエーション代表への就任に伴い、それまでも監督代行を務めてきた、息子の坂東正敬氏が'08年より新たに指揮を執ることに。父親譲りの熱い采配を繰り広げる。
Driver Profile =Seiji Ara=
荒聖治選手はご存知、'04年のル・マン24時間ウィナー。千葉県出身の37歳で、カートレースを経て'94年にフォルクスワーゲンカップ・ゴルフIIレースでデビュー。翌年からアメリカでレース留学を行った後、帰国後にF4、そしてF3を戦う。

GTには'00年にデビューし、'04年の第4戦・SUGOで初優勝。'06年から'09年までKONDO Racingに所属していたこともあり、ADVANレーシングタイヤを誰よりも熟知しているドライバーのひとりでもある。
Driver Profile =Andre Couto=
アンドレ・クート選手は国籍こそポルトガルながら、マカオ育ちの35歳。そのため、マカオ・グランプリや、ギアレースに数多くの出場経験を持つ、彼の地のヒーローである。

カートをルーツとして、'95年にフォーミュラデビュー。この年、F3未経験ながらマカオ・グランプリに挑み、その後F3のみならず国際F3000にステップアップを果たしてなお、マカオ・グランプリに挑み続けた。悲願の初優勝は'00年。'01年に来日して、GTやフォーミュラ・ニッポンに出場。'05年の鈴鹿1000kmに優勝経験を持つ。
[UPDATE : 25.Apr.2012]
         
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