最終戦の愛知は当初予定になかったが、チャンピオン獲得の可能性が高まったため急遽インテグラを駆って参戦。ここでしっかり結果を残し、堂々の2011年JN-3クラス・ドライバーチャンピオンに輝いた牟田周平選手。
2012年は再びスバルインプレッサを駆ってJN-4クラスに参戦することとなり、ベテラン勢を相手にどこまで上位に食い込んでいけるかが注目を集める存在となる。
そんな牟田選手に、これから先のラリードライバー人生における夢を聞いてみた。
「プロフェッショナルとしてやっていければ、ドライバーとして生きて行けることが幸せだと思っています。夢、ですね。
それにはまだまだ経験も足りないとは思いますが、出来るだけ長いスパンでラリーを続けていくための努力をしなければならないと思っています。環境はどうであれ、『今年、JN-4クラスを走ります。でも、来年は出来ません』ではなくて、何年もラリーを続けて行って、いずれ世代が変わっていく時にも残っていられたらいいな、と思っています」
しかし反面では、どこまで自分はラリーを続けて行けるのか、という思いも胸にあると正直に語ってくれた牟田選手。それは、牟田選手に限らず、若い人たちに共通する思いなのかもしれない。
「僕も含めて"若手"と呼ばれる選手は、お金もないし経験も足りません。そんな中で勝負をしようとすると、どうしてもお金は必要になってきます。でも、お金はイコール"人"でもあると思うので、やはり色々なかたちで支えてくれる人たちの存在は大きいですよね。
仮に自分が大金持ちだったとしても、ラリーは一人では絶対に出来ないスポーツです。だから、というわけではないですが、人のつながりというのは本当に大切。
僕は自分自身で言うのも変ですが、人を大切にするタイプだと思います。周りからも「お前は他人のことより、自分のことにもっと集中しろ」と言われることも多かったりします(笑)。僕は、人を大切にしながら、後輩も育てつつ、自分自身もステップアップしていけたらいいな、と思っています」
20代の若手選手が口にした"後輩を育てる"という言葉。そこから見える"20代のクルマ事情"について牟田選手は語る。
「走りたい、っていう子は多いんですよ。そういう後輩たちは、僕がラリーに出るというと、応援に足を運んでくれたりします。
車が好き、走るのが好き、という子は多いんですが、どうしても競技への出場となるとお金の問題がついてまわってしまいます。ただ、本当に走ることが好きな子はたくさんいるので、僕自身がそういう子たちの目標になれる存在でいたいんですよ。
雑誌なんかでは『若者の車離れ』なんて言われたりもしますが、決してそんなことはありません。僕のまわりの20代にも、いっぱいインプレッサなどのユーザーはいますから、そういう若い子がたくさんラリーやレースに出てきたら面白くなりますよね」
自分のステップアップだけではなく、周りの後輩たちの目標になれる存在としても頑張っていきたいと語った牟田選手。その飛躍の先として海外ラリーは視野に入っているのだろうか。
「そうですね、海外にも行ってみたいんですが、やはり国内で奴田原文雄選手などの速い人たちに勝ってからではないと、行ってはいけないのかな、って(笑)。新井さんも奴田原さんも日本一になって海外に行かれていますから、まずはそういう速い人たちに認めてもらってから海外参戦だろう、っていう思いがありますね」
惜しくも開幕戦ではDay2でコースオフを喫してリタイアに終わった牟田選手。マシンのパフォーマンスも高かったが、「まずは徐々に感覚を(JN-4の速さに)戻しながら走ります」と語っていただけに、終盤で勢い余ってしまったための結果だろうか。
牟田選手にとっては悔しい結果となってしまった2012年の開幕戦。しかし、昨年の福島でも悔しい思いをバネにしてチャンピオン獲得に至っただけに、今回も不屈の精神と若さを武器に、これからの巻き返しに期待したい。
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