2011年に猛威を振るったFIA GT3マシンは、エンジンパフォーマンスの高さを武器とする一方で、パーツの交換や改造が自由に許されず、またエアロパーツにも制限があった。そのため、高速コースには強い反面、テクニカルコースには弱いというのが開幕前の予想。実際には、その予想を遥かに上回る「直線番長」ぶりを見せつけ、「初音ミク
グッドスマイルBMW」(谷口信輝選手/番場琢選手)がチャンピオンを獲得した。
開幕戦の富士こそ気まぐれな天候にかき回され、本領を発揮するにはいたらなかったが、それ以降のコースでは、つなぎの短い直線でも威力を発揮したから、もはやライバルから出るのは愚痴ばかり。「勝負にならない」という言葉を何度聞いたことか。
しかし、「直線番長」を自称しつつも、絶えず谷口選手が口にしていたのは「今回も、いいタイヤを用意してもらえた」というコメント。絶えず進化を重ね、開発の手を止めないよう努力し続けている開発陣には、まさに冥利に尽きる言葉といえよう。
実際、「高速」という形容詞も着くが、初優勝を飾った第3戦の舞台、セパンはテクニカルコースの部類。マシンとタイヤの高性能が完璧にマッチしたからこそ、得られた勝利だと言えるだろう。
そして、もうひとつの勝因はドライバーにある。
過去に何度もチャンピオン争いを繰り広げ、結果的には涙を飲み続けてきたとはいえ、谷口選手の実力は保証済。だが、パートナーの番場選手には、自身も認めるとおり、「今までの僕には『何かやらかしそう』というイメージはあった」のは事実だ。
谷口選手は「チャンピオンとなるために、何が必要か?」 そう考えた時、即座に番場選手のスキルアップと感じたという。そこで惜しみなく、自身の経験、知識、さらにサーキット街での心がけまで伝授したという。
何度も性能調整を受けてなお、第6戦の富士では独走で、ポール・トゥ・ウィンを達成。しかし、続くオートポリスでは苦手なコースとはいえ、番場選手のプッシュが及ばず9位に甘んじ、ランキングのトップを明け渡している。帰途に着く際、谷口選手は「俺に、チャンピオン獲らせてくれよ……」と本音をポツリ。これに番場選手が奮起した。
「僕にできることは、すべてやってきました。いい緊張感があったから、逆にプレッシャーを感じなかったほど」と番場選手。
最終戦・もてぎではスタートも任され、トップをキープしたまま谷口選手にバトンを託すことに成功する。そして、トップでゴールした谷口選手は、いやゴールする数周前から目を真っ赤に腫らしていた。
谷口選手にとってはGT参戦10年目にして初のチャンピオン、悲願をついに成就させた。そして番場選手は初戴冠。著しい成長を遂げたシーズンともなった。