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そのマシンは、静かに目の前を駆け抜けた。モータースポーツでは当たり前の迫力あるエギゾーストノートも、激しいタイヤスキール音もなく、静かに天空を目指して駆け上がっていく。
コクピットにおさまるのは、塙郁夫選手。
2011年6月26日、アメリカのコロラド州で開催された伝統のイベント「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」。この大会に電気自動車(EV)で3回目の挑戦を果たした塙選手は、自らが前年に打ち立てたEVクラスのコースレコードを大きく更新する快走をみせた。
 
塙郁夫(はなわ・いくお)選手。
1960年に茨城県で生まれ、18歳でフォーミュラタイプのバギーを駆って全日本シリーズに出場。以降、基本的にオフロード一筋で33年のモータースポーツ歴を誇る、日本を代表するオフロード・レーサーだ。その挑戦は1000マイルもの長距離を一気に駆ける「Baja(バハ)1000」や、モンゴルなどの過酷な大自然を相手にしたクロスカントリーラリーなど、幅広いものがある。
そんな塙選手が2009年から挑戦しているのが、アメリカで開催される「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」、通称「パイクス」だ。まずは塙選手に、この「パイクス」について紹介してもらおう。

「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムというのは、2011年で89回目を数えるイベントです。モータースポーツの歴史が長いアメリカの中でも、インディ500に次いで伝統あるイベントなんですよ。
どんな競技なのかというと、舞台はロッキー山脈の東端にあるパイクスピークという標高4,300mの山ですね。ここの中腹、2,800m地点をスタートして、頂上のゴールまで約20km、コーナーが156回あって勾配は11%という、ほとんど登山みたいな道を如何に早く駆け上がるかという、単純明快なレースなんです」
 
日本ではあまり馴染みのない、ヒルクライムレース。もう少し、パイクスの雰囲気について教えていただいた。

「僕が参加して痛感しているのは、パイクスは完全に"村祭り"だな、ということ。本当に地元の人々に根付いた、日本でいう"三大祭り"みたいな捉えられ方をしているような感じですね。
レース当日は山に5万人くらいの観客が入って、キャンプをしながらのんびりと観戦していたりする。客層も幅広くて、家族連れはもちろん、老夫婦が仲良く手をつないで見ていたりして、大会を地元の親子が代々にわたって支えて協力しているような感じで、本当に羨ましい限りですね」


大いに盛り上がりを見せているパイクス。では、参加者はどのような感じのチームが多いのだろうか。そもそも世界的な注目度の高いレースでもあるだけに、例えば日本や欧州のレース同様に自動車メーカーのワークスチームが主役だったりするのだろうか。

「それがですね、基本的には地元の英雄が主役なんです。おじいちゃんも、親父さんもパイクスで優勝していて、今はその三代目がドライバーとして走っている、なんていうケースが多いんです。アメリカ人が好きな、"家同士"の戦いみたいなところもあって、各地のヒーローが競い合っているんです。
そこに自動車メーカーが宣伝のために新車を持ってきたり、インディの主力選手が出場したりということはありますが、あくまでもプライベーターとしての参戦という感じですね。
おそらく、いわゆる日本でいうところの"メーカーワークス"みたいな体制は、パイクスでは周りから浮いてしまって誰にも褒められないでしょうね。これは僕が参戦しているBaja1000など、アメリカ系のオフロードレースに共通しているところで、メーカーは一番頑張っているアマチュアを、後ろからそっと支えながら一緒に戦っている、というスタイルが主流ですね」
 
地元の伝統ある"お祭り"として、そして世界的に注目を集めるヒルクライム・イベントとして、毎年盛況を見せるパイクス。ここに塙選手は2009年から参戦を開始している。しかも駆るマシンは塙選手自身がプロデュースして作り上げた電気自動車だ。

「僕は30年以上もオフロードレースをやってきて、バハやモンゴル、タイなどの世界各地で戦ってきました。そうしているうちに、大自然の中で排気ガスを垂れ流しながら走っていると、さすがにこの歳になると罪悪感が凄いんですよ。
それでふと思ったのが、『こんな大自然の中でこそ、ゼロ・エミッションの排気ガスを出さない車で走ってみたい。新興国はこれから自動車の普及が進むのだから、そこにクリーンな車を増やしていくべきではないかな』ということなんです。それで、残りのドライバー人生を、そっちの方面でも頑張ってみようと思いました」


世界の大自然を相手に戦い続けてきた塙選手だからこそ、自然を愛する気持ちは人一倍強い。そんな塙選手が、環境に優しい電気自動車に注目したのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれない。

「2005年で横浜ゴムのRVタイヤ「GEOLANDAR(ジオランダー)」の開発プロジェクトが一段落したので、翌年からはエコをテーマにチャレンジしてみようという話になりました。そこで2006年にはコンバートEV、つまりガソリンエンジン車のエンジンをモーターに載せ換えたマシンで、いろいろなレースに出場してみて電気自動車の感触を掴むことからはじめました。
とにかく、電気自動車をみんなに注目してもらって、その存在を認めさせるためには、レースに出てガソリンエンジンに勝つしかないだろうと。いくら電気自動車について『エコですよ、環境に優しいんですよ』と言ったところで、それが遅くて、高価で、格好悪くて、乗ってもつまらないものだったら、誰も買わないでしょう?
ならば電気自動車でガソリン車とガチンコ勝負をして勝ってみせれば、遅いとは言わせないし、乗って楽しいものなんだということもアピールできるわけです」
 
モータースポーツは世界的に見ても、その黎明期から自動車の進化に大きな役割を果たしてきた。今では主流となっているガソリンエンジン車についても、当初は耐久性をはじめとした性能をアピールするための場として、モータースポーツの舞台が注目を集め続けてきていたのだから。
こうして電気自動車での参戦を決めた塙選手だが、ではなぜその舞台がパイクスなのだろうか。

「それはですね、まずガソリンエンジンとガチンコで勝負できるフィールドを探したんですよ。
条件は、まず注目を集めなければならないので、世界的な知名度があるイベントというのが第一。次に電気自動車は航続距離がガソリン車よりも短いというハンデがあるので、短期決戦型の競技が必須になるわけです。さらに、標高の高い場所で競われるパイクスの場合、ガソリン車は空気が薄いためにパワーダウンを余儀なくされますが、電気自動車にはそれがない。つまり電気自動車ならではの利点も発揮できるわけで、パイクスに絞り込んでいきました」
こうして2009年、塙選手は電気自動車でのパイクス参戦を実現した。ドライバーとしてはもちろんだが、意欲的な電気自動車の参戦ということでマシンを自ら作り上げる塙選手にとっては大きなチャレンジの幕開けである。
次回は、この"戦う電気自動車"について、その誕生秘話をお聞きしていこう。
[UPDATE : 18.Nov.2011]
         
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