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■谷森雅彦 選手
1966年・岡山県出身。
1991年に中国ジムカーナ選手権でデビュー。同年、全日本選手権にもA-IIクラスから参戦。
その後、A-III、A-IVクラスを経て、2002年から改造車クラスに転じる。移籍初年度は第2戦での全日本初優勝を皮切りに連勝街道を独走してチャンピオンを獲得。
この年から連覇を続け、10年連続でチャンピオンを獲得。そしてV10を達成した2011年限りで、現役を引退した。
 
2011年10月8日、埼玉県の本庄サーキット。当地で開催された全日本ジムカーナ選手権の最終戦、既に前戦の九州・おおむたラウンドでシリーズチャンピオンを確定させていた谷森雅彦選手は、ハコ車最速タイムを叩き出して文句無しの優勝を飾った。
谷森選手が記録したシリーズチャンピオン、それは10年連続という金字塔を打ち立てたものだった。そして、谷森選手はこの金字塔をひとつの区切りとして、2011年をもって現役を引退すると発表した。

ADVANとともに戦い、全日本ジムカーナ史に大いなる記録の1ページを刻んだ谷森選手。シリーズ最終戦、本庄ラウンドの走行が終了した後に、まずはV10を達成した率直な感想から、お話しをお聞きした。

「そうですね、何年も前からV10を目標にしてやって来たんですけれど、それが実際に達成できたというのは……。今日がラストランなんですけれど、悔いはないかなぁ、という思いがありますね」

谷森選手も語ったように、この本庄が全日本戦のラストランとなった谷森選手。まさに惜しまれながらの引退決断となったわけだが、果たしていつ頃の段階で引退を決意されたのだろうか。

「いつやろうねー?
連勝しようた頃に一度、もうこれで2年連続全勝優勝という時に、いっぺん辞めようかと思った時もあったんですよ。だけど、奥さんに『続ければ』みたいに言われて、やっぱりやりたいという気持ちもあって続けることにしました。
でも、いつかは区切りをつけんといかん、という思いはあって。もう何年か前から10連覇までは頑張って続けようというのはあったんですよね。だからV10を最後に、というのは別に今年になって急に決めた話ではないんです」

男として、そして戦うドライバーとして、ひとつの区切りをつけた谷森選手。
最後の全日本戦、その2本目はまさに有終の美を飾るラストラン。最後も谷森選手らしいキレの良い走りを見せて、1本目よりも0.687秒タイムアップ、ハコ車で唯一となる1分20秒台に叩き込んで文句無しの優勝を飾った。
この最終戦に臨む心境というのは、どのようなものだったのだろうか。

「これが最終戦までV10が決まっていなかったら、もっと凄いプレッシャーを感じていたかもしれません。それが前戦で決められて最終戦に来られたので、気持ち的には楽でした。自分の好きなように楽しんで、最後を走れればいいな、という感じで。
その上で、一番速い走りが出来たら自分も気持ちいいんで、今日はそれを実際に出来ましたね。まぁ、ミスもあったんで、もっとタイムは出せとったと思うんですけれど(笑)」

ご本人は謙遜を交えてこう語ったが、快走を決めて清々しい笑顔を見せてくれた。そこで、最終戦の2本目、正真正銘のラストランに臨んだ心境を更にお聞きした。

「スタートラインについたとき、『最後のスタートだなぁ』いう思いにはなりました。自分は泣き虫なんで、最後の時には『泣いて前が見えんのじゃないか』とも思いよったのですが、結果的にはそうではなかったですね。横浜ゴムの人とも『泣くまぁや(=泣かないでおこうね)』と言うとったんですよ。
チェッカーを受けた後、前半で失敗もあったんで、『わしの最後はこんなもんかな』って(笑)。走り終わってからはやっぱり泣き虫なんでこらえられませんでしたが、(V10を決めた)九州の時の方が大泣きしました。九州はもう、車から出れんかったいうか(笑)」
 
1991年、ラリーキッズ伊那で開催された「'91 JAPAN CUP GYMKHANA」。全日本デビュー戦となったこの大会、CR-XでA-IIクラスに参加した谷森選手は、30台中23位という成績を残している。
以降、翌'92年から2年間はA-IIクラスを戦ったが、9戦に出場して最上位は名阪スポーツランドで開催された'92年の第7戦で残した8位というリザルト。

'94年からはマシンをランサー・エボリューションにスイッチ、A-IIIクラス('96年からはA-IVクラス)へと戦いの場を移す。そして2002年から改造車のC-IIクラスに挑戦を開始、同じくADVANを履く藤井健二選手や高橋利武選手と激しいトップ争いを展開。第2戦の名阪スポーツランドで全日本戦初優勝を飾ると、そこから最終戦まで連勝街道を独走して、初のシリーズチャンピオンを獲得した。
そして、そこからの10年連続チャンピオン獲得。その過程では2度の全勝チャンピオン(2005年、2006年)、さらに24連勝(JAFカップ3勝を含)という記録も残している。

この10年について、谷森選手は時間の流れをどのように受けとめ、感じているのだろうか。

「今思えば、10年という歳月は早かったですね。まぁ10年前いうたらだいぶ前の話やないとは思うんですけれど、あの頃から10年後と言うたら『そこまで、やれとうじゃろうか』いうのは、ずっと思いよったんで。それが実際に目標にしていた十連覇まで来れたいうのは、周りのみんな、スタッフやスポンサーさんや、みんなにお世話になったお蔭ですね」

長いようで短かったと、谷森選手ご自身が振り返ったV10の軌跡。その中で、もっとも印象に残るシーズンというのはいつの事なのかをお聞きしてみた。

「いつじゃろうね〜。
まぁ元を正せば、『高橋利武さんに勝つ』ということで改造車を始めて。一年目が一番楽しかったというか、希望に満ちていたというか。何でも新しくすることは楽しいと思うんで。車を変えて苦労したことも思い出すし、それがだんだん速く仕上げられたことも、今になれば思い出ですし」
 
幾多の栄冠を掴んできた谷森雅彦選手の引退。ともに戦った全日本ジムカーナ選手により、最終戦の本庄では表彰式の前に、同じく今回をもって現役引退を発表した川脇一晃選手とともに、特別にセレモニーが催された。

温かい拍手、そして贈る言葉に包まれた谷森選手。来年以降、その走りを見られないのは改めて残念の一言に尽きるが、谷森選手はモータースポーツに携わり続ける一人としてこんなメッセージを発した。

「基本的には全日本であってもジムカーナはほとんどが趣味の範囲なんで、みんな思う存分楽しんでジムカーナを続けていって欲しいですね。いつかはこういう引退ということもあるかもしれないけれど、出来る人はどんどん続けてやってもらいたいし、若い人を引っ張っていくような動きもしてもらいたいですね。
僕も地元の中国地区でJMRCの役員をしていますが、なかなか若い人が集まらない。敷居を下げた大会をやっていますが、そういうところに初めて来たという人には、楽しんでもらっています。スポーツカーとかに乗っているんだったら、いっぺん走ってもらえればモータースポーツの楽しさを分かってもらえると思うんですけれどね」

ジムカーナのこれからについても思いを語ってくれた谷森選手。
現役を引退するいま、改めて谷森選手にとってのジムカーナとは、何なのだろうか。

「なんでしょう(笑)。生き甲斐、ですかね」

その"生き甲斐"を共に歩み、そして支えてくれた存在として忘れられないのが、谷森選手の奥様だ。このインタビューの締めくくりとして、奥様にメッセージを贈っていただいた。

「奥様に……、なんじゃろうね。
『いっつも一緒に居てくれて、応援してくれて、ありがとう』という感じかな。
まぁ、まだずっとこれからも一緒に居るんだけれど(笑)。以前は、『レースしよらんアンタは嫌いじゃ』って言いよったこともあるけれど(笑)」



ジムカーナ史に燦然と輝く金字塔。
ADVANがその走りを支え続け、そしてタイヤの持てるパフォーマンスをフルに引き出しての快勝が積み重なってのV10。その記録はもちろん、谷森選手の走り、そして温かな人柄と時折見せた涙は、多くの人の記憶に深く刻まれている。
 

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[UPDATE : 11.Nov.2011]
         
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