ゴールラインを切って多くの関係者が待ち構えるパドックへ向かうマシン。1本目で3番手タイムとなっていた黄色いインテグラ、王座獲得のためにはもうひとつ最低でも順位を上げていなければならなかった。パドックに入ってマシンを停めたとほぼ同時に、誰かが叫んだ。
「トップタイムだー!!」
2本目での鮮やかな逆転劇。後続のライバルもこのタイムを破ることは叶わず、堂々の終盤3連勝を飾った朝山崇選手が2007年以来4年ぶり、N2クラスでは初の全日本チャンピオンに輝いた。
「N2クラスに移って4年経ちましたが、かなり苦労も続きました。だからチャンピオンを決めた今は、この1年というよりも4年間のことを思い出しますね。
2008年にN1からN2に移りましたが、最初の2年くらいは箸にも棒にもかかりませんでした。K-oneさんでインテグラに乗せていただけることになったのですが、やはりN1でチャンピオンを獲っているから期待されていたと思います。それが酷い成績が続いてしまったので、かなり心苦しい日々が続いていました。
ずっと小さいクルマばかりに乗っていたので、『僕って、大きいクルマには乗れないのかなぁ……』と、自信までも失いかけてしまいました。それでもめげずに一所懸命やってきて、3年目となる去年でようやく光明が見えてきて。一勝することが出来て、やっと自信を取り戻せてきたんです」
3年目に入って大きく変わったことのひとつは、マシンのセッティングだと朝山選手は続けた。ヴィッツに比べてセッティングにシビアだというインテグラ、これを苦しみながら着実に煮詰め、ドライバーとしてのセッティング能力も高めていき、戦闘力を向上させていったという。
「去年の後半に優勝をして、JAFカップにも勝てて、手応えを感じられていたのは事実です。
だから、これは理屈も何も無いんですけれど、ヴィッツでチャンピオンを獲得したのが4年目のことだったので、自分の中では『インテグラでも4年目で結果を出したい』という思いがあって、今年はチャンピオンを獲りにいく年にしようと最初から思っていました。
そして名阪で勝てて『よしよし』と思っていたのですが、その次から失敗しちゃって……」
現在は故郷の愛媛県に住む朝山選手、マシンについては小清水昭一郎氏が率いるレーシングサービス・コシミズに面倒を見てもらっているという。前半戦、思うように結果が出ない状況を受けて、徹底した検証作業が行われることになった。
「結果を言うと、セッティングがちょっとズレてきちゃっていたんですね。先程、セッティングの能力を高められたという話をしましたが、実はまだまだ自己流に過ぎなかったんです。タカタ以降で撃沈が続いて、それまでは勝ったこともあっていろいろ大目に見ていただいていたこともあったと思うのですが、さすがに『ちょっとなんかおかしいんじゃない?』という話になりまして」
見直しは細部に及び、小さいコーナーに特化していたセッティングは大幅に見直され、コース設定などに応じて臨機応変な対応が出来るようにセッティングのバリエーションも用意されることになった。こうした作業が功を奏して第6戦のもてぎ、第7戦のおおむたを連勝。勝ち星を3としてチャンピオン獲得の権利を持って最終戦の本庄へと挑むことになった。
その最終戦では必勝体制で、朝山選手自身のこだわりだったリアスポイラー・レス仕様にダメ出しがされ、高速コース対策としてスポイラーが装着されてもいた。
「愛媛県から埼玉県の本庄に向かう間は、もう楽しくてしようが無かったんですよ。だって、チャンピオンになれる権利を残しているんですから、それはドキドキするし楽しいじゃないですか。
本番の走行では外周のコーナーを回ったときに『楽しい〜』と思いましたね。2本目では集中できていたので、ゴールラインを切ったらその先にみんなが待ち構えていたのを見て、『あっ、今回はチャンピオン争いだったんだ』という感じで。我ながら冷静というか、ボケているというか(笑)」
チャンピオン争いの主役であることさえ忘れてしまうほどに集中した走りを披露した朝山選手。2本目での見事な逆転劇でシーズン4勝目を飾り、文句無しで悲願のN2クラスチャンピオンを確定させた。大勢の関係者、そしてライバルからも祝福を受けた朝山選手。優勝の興奮も冷めやらぬ本庄のパドックで、改めてその心境をお聞きした。
「チャンピオン、やっぱり格別ですね! 僕の中では、大きいクルマにも乗れるということをきちんと証明できたので、とても嬉しいです。
僕は今でもN1クラス出身の代表選手という思いを勝手に持っているんです。N1クラスなど小さいクルマの選手は金銭的な問題もあって、なかなか大きいクルマに移れない人も多いのが事実。だからこそ、僕がN1クラスで戦っている選手のためにも、きちんと結果を出さなければいけないと思っています」
N1、そしてN2とチャンピオンの称号を手中におさめた朝山選手。ちょっと気が早いかもしれないが、来シーズンの活動について、最後に聞いてみた。
「実際のところ、来年については現時点では未定です。続ける方法を模索はしていますが、転職したこともあって参戦予算の問題も決して小さくありません。
でも、ジムカーナを辞めたくはないんです。全日本とか地区戦ということに拘るのではなく、ジムカーナそのものはオッサンになっても辞めるつもりはありません!」