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日程・レポート・結果表 カテゴリー&タイヤ解説 新井敏弘選手と奴田原文雄選手がIRCに参戦! 2011 IRC Rd.6  SATA RALLYE ACORES
主なチーム&ドライバー [LINK] 公式ウェブサイト
カテゴリー&タイヤ解説
2007年に発足した新しい国際ラリーシリーズがIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)。ツーリングカ・スプリントレースの世界最高峰であり、ADVANがオフィシャルタイヤサプライヤーをつとめるWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)と同様に、FIA(国際自動車連盟)公認の下で、スポーツ専門のテレビ放送局であるユーロスポーツ社が運営を担っている。

その特徴は大きく3つ。

一つ目は、参戦コストの低減化に力が注がれていること。
これによって参加台数は増加傾向を続けている。主力となるマシンはSUPER 2000規定を含めたグループN車両。2010年、従来のグループNとS2000の性能差を埋めるためにN車両のリストリクター径が拡大されたが、2011年はさらに軽量化や足回り、冷却系などの性能向上を図ることが出来るグループR4仕様の参戦が認められた。

二つ目は、メディアによる露出の多さ。
これは運営を放送局が担っていることによる強みであり、シリーズ各戦は日本を含めた全世界へと配信されている。さらにインターネットによるストリーミング配信や、シリーズを総括するDVDソフトの販売など、強力なプロモーションが実行されている。
露出の多さはファンの拡大につながるとともに、自動車メーカーや関連企業、スポンサー企業にとっては参入することのメリットがとても大きい。実際、4輪駆動マシンで言えば日本のスバルをはじめ8つのブランドがマニュファクチャラー登録を行っており、バラエティ豊かなマシンたちがしのぎを削りあっている。

三つ目には大会がそれぞれ個性的である点を挙げておきたい。
あくまでもFIAが決めたフォーマットに沿って開催されているWRC(FIA世界ラリー選手権)と比べると、IRCは各大会毎の伝統や歴史を重んじていると言える。シリーズにはモンテカルロラリーやツール・ド・コルス、ラリー・チェコ・ズリーンといった、ラリー史にその名を刻み続けてきた伝統ある大会も名を連ねており、それぞれが持ち味を活かしたイベントおよび競技運営を展開している。
2011年、横浜ゴムは富士重工業/STI(スバルテクニカインターナショナル)とタッグを組み、スバルWRX STI sprc Cで、このIRCに本格的な参戦を開始する。これまでもオフィシャルタイヤサプライヤーの一社としてIRCでは参加チームにタイヤを供給してきた横浜ゴムだが、さらに一歩踏み込んだかたちで国際ラリーの舞台での戦いを演じる。

注目のドライバーはスバルを知り尽くしている新井敏弘選手と、ADVANラリータイヤを知り尽くしている奴田原文雄選手。
新井選手は過去に2回のPWRC(FIAプロダクションカー世界ラリー選手権)でチャンピオンを獲得、日本人で唯一のFIA世界選手権王者である。奴田原選手は全日本ラリー選手権で幾多のチャンピオンを獲得しているほか、海外でも日本人として初めてのモンテカルロラリー優勝(2006年)など、こちらも輝かしい実績の持ち主だ。

供給するタイヤはグラベル(非舗装路)用が「ADVAN A053」、ターマック(舗装路)用は「ADVAN A006T」。昨年のAPRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)におけるアジア・カップの獲得や、「ADVAN A053」はそのプロトタイプ時代にPWRCで日本やキプロスでの戦いを制しているなど、ともに定評ある海外ラリー用タイヤである。

日本を代表するトップラリードライバー、世界のラリーステージで活躍を続けているスバルWRX STIとADVANラリータイヤ。
“JAPAN POWER”がコラボレーションしたIRCへのチャレンジには、世界中のラリーファンから熱い眼差しが注がれている。
主なチーム&ドライバー
2011年のIRCに、ADVANラリータイヤとスバルWRX STIのコラボレーションで参戦する二人の日本人トップラリードライバー。
そのプロフィールを改めてご紹介します。
 
新井敏弘 選手
新井 敏弘 選手 =TOSHIHIRO Arai=
 
1966年12月・群馬県出身。
'84年にラリーデビュー、'92年にBクラスで全日本選手権のチャンピオンを獲得。'97年に2回目の全日本王者に輝くと、翌'98年にはWRCへの参戦を果たし、活躍の場を世界へと拡げる。
'99年のチャイナラリーでWRCのグループN初優勝。
'05年と'07年にはPWRCのチャンピオンを獲得、日本人ドライバーとして史上初のFIA世界選手権チャンピオンという歴史に大きな1ページを刻んだ。モナコで行われたFIAの表彰式に、紋付袴姿で出席したことも、記憶に新しいところだ。
 
奴田原文雄 選手
奴田原 文雄 選手 =FUMIO Nutahara=
 
1963年12月・高知県出身。
1986年にラリーデビュー、'89年にJAF地方選手権のA地区戦でBクラスのチャンピオンを獲得。'90年から全日本ラリー選手権に本格参戦、'94年にADVAN Rally Teamの一員となる。
その後は国内で圧倒的な強さを見せ続け、'02年〜'06年の5連覇など、9回のチャンピオンを獲得。海外ではPWRCを主な戦いの場として、'06年には日本人として初めてモンテカルロラリーで優勝。同年は日本とキプロスも制して、シリーズ2位の成績をおさめた。
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