成功のうちに幕を閉じた「ヒストリックカーミーティング in TOYOHASHI」、このイベントの実現に尽力された中心人物が天野正治さん(写真・右)と、小菅英久さん(写真・左)のお二人だ。
天野さんは名古屋を拠点に映像制作やイベント企画の事業を営んでおり、ヒストリックカーミーティングの全体的な取り仕切りを行っている。小菅さんはモータースポーツ界ではお馴染みの存在で、名古屋を中心にタイヤ販売店を営み、ジムカーナやダートトライアルをはじめとしたモータースポーツのタイヤサービスも行っている。
このお二人に、ヒストリックカーミーティングの開催についてお話しをお聞きした。
−このイベントを立ち上げたキッカケを教えてください。
天野さん :
僕自身が元々、ラリーストだったんですよ。年齢を重ねてクラシックカーに興味が向いてイベントに参加するようになったのですが、その当時は関東でのイベントがほとんどで、名古屋から遠征参加していたのは僕一人ということも多かった。旧い車の愛好家は熟年層も多いので、遠くまで足を伸ばすのが大変だという理由もあるのでしょう。
でも、日本の車文化という意味では、偉そうに聞こえるかもしれませんが、やはり名古屋は外せないでしょう、と。なんといっても自動車の一大生産地ですからね。
そこで自分が出てみたい、やってみたい内容のものを名古屋で立ち上げることにしました。ただ、僕は企画なんかは得意ですが、実務的な面については小菅さんを巻き込んで立ち上げたと言うか(笑)。
小菅さん :
確かに巻き込まれましたね(笑)。一回目からお手伝いしていますが、実は最初はそんなに旧い車に興味があるという訳ではなかった。でも、7回目を数えるまでに、すっかりその魅力にハマっていますよ。
−横浜ゴムの新城工場をコースに組み込んだ経緯とは?
小菅さん :
三年くらい前から構想そのものはありました。ただ、色々な理由があって工場の周辺でコースを設定出来ないことが多くて。それらがクリアになって、いよいよ今年は出来るぞ、と満を持しての開催です。
天野さん :
今回やってみて、参加者から「ヨコハマタイヤの皆さんを含めて、多くのスタッフが雨の中で良くやってくれた」という言葉をいただいたのが、一番嬉しかったですね。多くの工場スタッフの皆さんが、雨の中でお手伝いや見学に出てきてくれたことが、参加者の皆さんにとっても印象的だったようです。
こうした触れ合いは、多少なりともヨコハマタイヤのブランドイメージ向上につながると思います。いつかタイヤを買おうとなったときに、今日のことを思い出して「ヨコハマタイヤを選ぼう」となるかもしれません。普段は簡単に立ち入ることが出来ない工場の中を、競技で走って写真も撮って、という今日の経験がどんなに凄いことなのかと。
−ヒストリックカー・ラリーの魅力とは?
小菅さん :
常日頃はベントレーやレクサスといった素晴らしい最新の車に乗っておられる方々が、この日ばかりは暑くても寒くても老若男女問わず汗だくになってラリーを戦い抜くんです。それこそがヒストリックカー・ラリーの魅力ではないでしょうか。
こういった場を天野さんが造り上げて、名古屋に根付かせたいという思いが僕たちにも伝わってくるんですよね。名古屋の人は意外とシャイで、こういうイベントに率先して参加しない傾向もあります。しかし、回を重ねることで友達が友達を呼ぶように輪が広がって、どんどん参加者が増えているんです。
天野さん :
今回は全国で4つの似たようなイベントが同日開催になりました。その中で50台ほどの参加があったことは大きいと思います。
ラリーは他のモータースポーツと異なり、ドライバーだけでなくナビゲーターとの共同作業で車を走らせます。奥さんがナビゲーターをつとめるケースも多いのですが、女性が喜んで本気になると勝つんですよ(笑)。そして、私のもとにも「旦那と20年、30年と一緒にいて、このイベントで初めてひとつの趣味を二人で楽しめた」という奥さんたちの声が届いています。これは、微力ながら夫婦円満にも貢献しているな、という自負があるんですよ(笑)。
天野さんと小菅さん、お二人を中心に多くのスタッフが自らも楽しみながら、同時にホスト役として参加者にも楽しんでもらおうという思いを強く持って運営されている「ヒストリックカーミーティング」。アイディアマンの天野さんは次回も参加者を驚かせるような仕込みを考えるだろうし、そのアイディアを抜群の機動力で小菅さんが実現していくというコンビネーションは、このイベントならではのパワーの源。
初めての雨にも見舞われた第7回も成功のうちに幕を閉じた「ヒストリックカーミーティング」、第8回に参加者から寄せられる期待も大きいものが感じられた。