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WTCC Round 11&12
開催日
2012年5月19日〜20日
開催場所
ザルツブルグリンク
(オーストリア)
天 候
第1レース : 晴れ
第2レース : 晴れ
路 面
第1レース : ドライ
第2レース : ドライ
決勝周回数
第1レース : 14周
第2レース : 12周
(1周 = 4,225m)
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世界各地で12大会(全24戦)を転戦するWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)、早いもので今年のカレンダーは前半戦の締めくくりとなる第6大会を迎えた。
その舞台はオーストリア。この国でWTCCが開催されるのは今回が初めてのこと、今シーズン4大会ある初開催コースのひとつ、全長4,225mのザルツブルグリンクで競われる。

5月19日、予選に先立って行われた2本のフリープラクティスで、ともにトップタイムを奪ったのはシボレーのアラン・メニュ選手。初開催コースに強さを見せてきたことはデータでも裏付けられているが、やはり今回もザルツブルグリンクをいち早く攻略してきた。

そして迎えた予選、トップ12台を絞り込むQ1ではハンガリーで劇的な優勝を飾ったノルベルト・ミケリス選手(BMW)が15番手に沈んでQ2進出を果たせなかった。一方、ここ2大会ほどQ1での敗退が続いていたトム・コロネル選手(BMW)は6番手タイムをマークしてQ2に勝ち残る。

そんな中、Q1とQ2を通じて速さを見せたのはシボレー勢。Q1でイヴァン・ミューラー選手がトップタイム、これにメニュ選手、ロブ・ハフ選手、さらにYOKOHAMAトロフィーのアレックス・マクドワル選手が続いてトップ4を独占すると、Q2ではハフ選手、ミューラー選手、メニュ選手というオーダーでトップ3を奪う。マクドワル選手もガブリエレ・タルクィーニ選手(セアト)に続く5番手で、Q2もYOKOHAMAトロフィー勢のトップをキープした。

日曜日、まずはローリングスタートで熱戦の火蓋が切って落とされる第1レース(第11戦)。
注目の1コーナー、トップ4台は順位を入れ替えることは無かったが、その後方ではマクドワル選手を6番手スタートのモンテイロ選手がパスして順位を入れ替え、さらに7番手スタートのステファノ・ディアステ選手と9番手スタートのトム・コロネル選手という2台のBMWが後退して、代わってペペ・オリオラ選手とアレクセイ・デュデュカロ選手のセアト勢がポジションをアップした。

トップを行く3台のシボレー、“ブルートレイン”は快走を見せて後続をどんどん引き離す。2周目を終えた段階で3番手のメニュ選手と4番手のタルクィーニ選手との差はは2.209秒離れ、シボレー勢が表彰台独占へのフォーメーションを着々と築き上げていく。

しかし5周目の1コーナーでディアステ選手のインを差そうとしたダリル・オーヤン選手(セアト)はハードブレーキングしたもののラインを外れ、ディアステ選手と接触。両車ともにダメージを負い、ディアステ選手はピットに戻れたものの、オーヤン選手のマシンはコースサイドにストップ、接触の影響で小規模ながら火災が発生してしまう。
この影響で6周目からセーフティカーが導入されて、バトルは一旦水入り。

10周目からレースは再開、3周目にサイド・バイ・サイドにまで持ち込まれていたトップ争いが再び白熱して、11周目でミューラー選手がハフ選手に仕掛けてターン8からターン11まで横並びのツーワイドとなる。しかし、ハフ選手がここもしっかりポジションを守りきってトップが入れ替わるまでは至らず。
このままハフ選手はフィニッシュまでマシンを運び、スロバキアでの第8戦以来となる今季2勝目を飾った。

YOKOHAMAトロフィーは5番手スタートのマクドワル選手が混乱を尻目にトップを快走、自身初となるYOKOHAMAトロフィーでの優勝を勝ち取った。

短いインターバルをはさんで迎えた第2レース(第12戦)の決勝。
グリッドはポールポジションがデュデュカロ選手、2番手がコロネル選手、3番手がオリオラ選手、4番手がディアステ選手という、セアトとBMWが交互に居並ぶオーダー。シボレー勢は8番手から10番手にメニュ選手、ミューラー選手、ハフ選手というポジションだ。

シグナルがグリーンに変わり、FR(後輪駆動)のBMWが得意とするスタンディングスタートで1コーナーを奪ったのはコロネル選手。同じくディアステ選手も好スタートを切り、BMWのワン・ツー体制が構築された。

しかし、シボレー勢が猛追を見せ、4周目にはミューラー選手がトップを奪い取る。さらにハフ選手とメニュ選手もこれに続き、なんと7周目には第1レースと同様にトップ3を独占するフォーメーションを作り上げた。

ところがこの猛追劇が、結果的にはシボレー勢にとってまさかのエンディングを迎えてしまった要因となる。
8周目、3番手につけていたメニュ選手はターン9でパンクを喫し、コースオフしてガードレールにヒットし戦列を離れてしまった。メニュ選手がマシンを降りると、YOKOHAMAトロフィーを第1レースで制したマグドワル選手がまったく同じ場所でコースオフ、メニュ選手はガードレール外に早々と退避していたのが幸いで大きな事故には至らなかった。

両者がコースオフを喫した原因はタイヤのバーストにあった。ザルツブルグリンクはタイヤへのシビアリティが非常に高いコースであり、それはドライバーもチームも認識してレース中のタイヤマネージメントに気をつかっていた。ただ、セーフティカーが導入され、比較的ポジション争いが静かに推移した第1レースに対して、スタートから激しく随所でポジション争いが展開されてきた第2レースは、タイヤに掛かる負担も大きかったのである。

最終ラップ、トップを走っていたミューラー選手もターン10でバーストを喫してポジションを下げる。代わってトップに立ったのはハフ選手、しかしそのハフ選手も最終コーナー手前でバーストして突然の失速、この真後ろにつけていたコロネル選手もブレーキングを余儀なくされた中で、ややギャンブル的にアウト側のラインを取ってパッシングを狙っていたディアステ選手が二台をかわすことに成功。
最後の最後にまさかの大逆転劇でディアステ選手が初の総合優勝を飾り、前戦のノルベルト・ミケリス選手に続いてのYOKOHAMAトロフィー勢による総合優勝となった。
 
Driver's Voice
ロブ・ハフ 選手
 【今回の成績 : 第11戦 優勝/第12戦 2位】
第1レースは前を見るよりもミラーを見ている時間の方が多かったのですが、これまでのレースキャリアで最も難しいレースのひとつでした。バックストレートでイヴァン・ミューラー選手が迫ってきて、抜かれそうになりましたが何とかトップで持ちこたえることが出来ました。
第2レースではシボレーの中で最も好いスタートを切ることが出来て、ミューラー選手をプッシュする余裕がありました。そして彼の後ろにつけて2番手のポジションを得ましたが、終盤になってアラン・メニュ選手とアレックス・マクドワル選手がともにパンクしたとの情報をピットから受けて、私はタイヤマネージメントのために若干のペースダウンをしました。ミューラー選手も同様でしたが、不運なことに彼のタイヤはパンクしてしまいました。そして私も次のコーナーでパンクを喫してしまい、きちんとコーナーリングすることが出来ずにポジションをステファノ・ディアステ選手に譲りました。
ディアステ選手が初勝利を飾ったわけですが、彼の好走に対して、おめでとうと言いたいですね。
ステファノ・ディアステ 選手
 【今回の成績 : 第11戦 リタイア/第12戦 優勝】
今回のレースは本当に波乱の展開でした。トム・コロネル選手とともに好いスタートを切れましたが、シボレー勢もあっと言う間に追いついてきて、私は為す術も無く彼らにパスされてしまいました。しかしその後、彼らはそれまでよりもペースが落ちて、明らかに差が縮まりました。
そして最終ラップ、私はミューラー選手がコースオフしたのを見ました。さらにコロネル選手やハフ選手の前に出ようとしてラインを外したのですが、それはひとつの賭けでした。この決断は結果的に正しいものとなったのですが、実は私自身にはそれが最終ラップだったという認識が無かったのです(笑)。
前に出て「残りは何ラップ?」とドミニク・グライナー監督に無線で聞くと、彼は「君が勝ったんだよ!」と答えてきたのです。
 
FEATURED DRIVER
■アレックス・マクドワル 選手 (bamboo-engineering)

1991年1月、イギリスのイングランド北西にあるカーライルで生まれたアレックス・マクドワル選手。
2006年、15歳でBRSCC(イギリス・レーシング&スポーツカー・クラブ)が主催するT-Car選手権に出場。翌年にはイギリス・ルノークリオ・ウィンターカップで3勝を挙げて、シリーズ3位の成績をおさめる。

2008年と2009年はイギリス・ルノークリオ・カップに出場、2009年には4勝を挙げてシリーズ2位。こうした戦績が認められて2010年からはBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)へとステップアップ、優勝には一歩届かなかったものの2011年までの2シーズンでともに準優勝のベストリザルトを残している。

そして2012年、バンブーレーシングからWTCCへの参戦となったが、BTCC時代もシボレー・クルーズを駆っていただけに21歳の若手ながらモンツァの開幕戦ではいきなりYOKOHAMAトロフィーの準優勝を獲得、同じモンツァの第2戦でもYOKOHAMAトロフィーの3位と、躍進を期待させるデビューを飾っていた。

自らのプロフィールでは、WTCC初代チャンピオンとしても知られるアンディ・プリオール選手を好きなレーシングドライバーとして挙げているマクドワル選手、これからますますの成長が楽しみな一人である。
 
TECHNICAL INFORMATION
ザルツブルグリンクは今年のWTCC開催コースの中でも、最もタイヤへのシビアリティが高いコースであると予測されていた。特にストレートをつなぐ両端、最終コーナーと第1コーナーには大きめのバンクがついており、タイヤに対しては縦の荷重が強くかかる。さらに路面そのものは滑りやすく、摩擦によってタイヤの温度はかなり上がってしまうのだ。
この点についてはドライバーもチームも理解しており、走行前の段階からタイヤマネージメントにはいつも以上に配慮をしていた。
しかし第2レースはスタンディングスタートから激しい順位争いが展開され、チームが想定していた以上の負荷と摩擦熱やタイヤに蓄積されていったことがトラブルにつながる要因となってしまった。

WTCCのタイヤは主催者の意向によって、2006年にヨコハマタイヤがワンメイクタイヤサプライヤーとなって以来、これまでに大きな変更を受けていない。しかしこの間に車両は新型への入れ替わりもあり、重量の増加や1,600ccターボエンジン化によるパワー&トルクアップにより、タイヤへの負担は年々増大している。
特にFF(前輪駆動)車の前輪にはその傾向が顕著で、今回最も負担のかかるFF車の左フロントタイヤに対して、厳しい展開となった。

今回の結果について、ティアゴ・モンテイロ選手は「長いことレースをやっているけれど、今回が自分にとって初めてのバースト。これだけWTCCを走ってきて初めてっていうことは、良いタイヤだということなんだよね。しかも今回、同じような条件で走っていた車にみんな症状が現れたということは、タイヤのクオリティが高いレベルでイコールであるということの証明。これも凄いことだと思うよ」と語ったように、ドライバーやチームのヨコハマタイヤに対する信頼は全く揺らいでいない。
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