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Formula4 2008
日本独自のミドル・フォーミュラ・カテゴリーとして長い歴史を刻んでいるF4(フォーミュラ 4)。比較的ローコストでの参戦継続が出来る上に、マシンのポテンシャルは格上のF3に近いことから、若手のステップアップカテゴリーとしてのみならず、幅広い世代のフォーミュラレース愛好家から支持を集めています。

シリーズは東日本と西日本のそれぞれで競われた上で、12月には日本一決定戦を2008年はツインリンクもてぎで開催。
東西シリーズを戦ってきた各選手たち、中でもそれぞれのチャンピオンを獲得した二人の選手が好バトルを演じてくれました。

日本一決定戦を制したのは西日本シリーズのチャンピオン・花岡翔太選手。
三人の選手がシリーズ終盤まで激しいタイトル争いを繰りひろげましたが、第4戦・第5戦と連勝を飾ったことを含めて全戦で表彰台を獲得するという安定性の高さが光りました。

一方、東日本シリーズを制したのは、昨年シリーズ2位の土屋祐輔選手。
こちらは開幕戦から実に4連勝という独走ぶり、しかもその4戦全てでポール・トゥ・ウィンを飾った上に決勝レース中のベストラップもマークするという強さを見せた。

日本一決定戦では土屋選手が予選でトップタイムをマークしてポールポジションを獲得。13日(土)に行なわれた8周のセミファイナルレースも制して、まずはF4日本一の座に一歩近づいた。
14日(日)のファイナルレースは小雨模様となりウェットコンディションでの戦いに。
ポールポジションから土屋選手がスタート、二番手の選手がスタートをミスで後退するという予想外の展開で幕が開いた。そして3番手から2番手にポジションを上げた花岡選手が、ウェット路面に手こずる土屋選手を捕らえて先行、中盤以降も土屋選手の逆転を許さず、堂々の日本一決定戦ウィナーに輝いた。


西日本シリーズチャンピオン
2008 Formula4 WEST JAPAN Series CHAMPION DRIVER
花岡翔太 選手
  花岡翔太 選手 =SHOTA Hanaoka=
1987年・千葉県出身。
5歳でポケバイを始め、10歳の時にポケバイの全日本チャンピオンに輝く。翌年からレーシングカートに参戦、デビューレースでのポール・トゥ・ウィンを皮切りに2年連続で新東京/茂原と二つのコースで行なわれていたシリーズでダブルチャンピオンを獲得。
一時期モータースポーツ活動から離れたが、高校卒業を機にFJ1600で4輪レースデビュー。FTRS(フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクール)受講やFCJを経て2008年はF4に参戦、西日本シリーズチャンピオンに輝くとともに日本一決定戦を制した。

−そもそもF4に参戦することになったキッカケとは?

花岡選手 :
鈴鹿サーキットのお風呂(クア・ガーデン)で、偶然イーグルスポーツの天満社長と一緒になったのが始まりでした。
お風呂で色々とお話しさせて頂いているうちに意気投合したのがキッカケで、イーグルスポーツの社員になってドライバー兼メカニックとしてF4に参戦するところまで話がトントン拍子に進みました。


−4輪デビューとなったFJ1600とF4の違いは?

花岡選手 :
FJ1600はウィングが備わらないのでダウンフォースがありません。クルマのシンプルな動きを追求するドライビングが求められるので、上手くロールさせないとタイムが上がらないといった特徴があります。
対してF4はスピード領域も遥かに高く、ダウンフォースもしっかり効かせられます。セッティングの幅がFJ1600とは比べ物にならないほど広いので、ドライバーとしてはセッティング能力を高める良い勉強にもなりますね。


−ADVANが供給するF4のコントロールタイヤについて印象は?

花岡選手 :
F4のタイヤについては一発のグリップ力が優れているという印象があります。ただしレースですからタイヤのマネージメント能力も求められますね。如何に良いコンディションを保って、ここ一番必要な時に最大限のタイヤパフォーマンスを引き出すことが出来るか。
例えば昨年戦っていたFCJでは、予選をあまり深く考えずにアタックしていた傾向がありました。しかしF4ではタイヤへの熱の入れ方や、何周目にピークを持ってきてクリアラップを獲りにいくかなど、戦略も重要になってきます。
こうしたタイヤマネージメントなどを通じて、今年はレースの組み立てについてを大いに学びました。


−2008年を振り返って、どんなシーズンでしたか?

花岡選手 :
2007年にFCJを戦いましたが、自分はまだ4輪レース経験が浅い方でした。FCJは若くても長いレース経験を持つ人が多いので、一年間はそんな環境下で"揉まれながら"スキルアップを果たした感じでした。
実は2008年は資金的な理由などでレース活動が出来ない可能性もありました。しかし幸いに多くの方々に支援していただいたこともあり、F4というカテゴリーで戦えたことが何より大きな収穫でした。


−レーシングドライバーとしての"将来像"は?

花岡選手 :
僕ももう21歳になります。「目指すはF1!」と言いたいところですが、まずはプロフェッショナルのレーシングドライバーとして活躍出来るようになりたいですね。
今回のF4日本一獲得が、目標に向かっての良いステップになれば良いなと思っています。


東日本シリーズチャンピオン
2008 Formula4 EAST JAPAN Series CHAMPION DRIVER
土屋祐輔 選手
  土屋祐輔 選手 =YUSUKE Tsuchiya=
1982年・茨城県出身。
23歳で偶然友人に誘われて乗ったレンタルカートで圧倒的な速さを見せて、カートレースイベントでも初心者とは思えない走りを実践。
偶然に書店で見かけた自動車雑誌で見たZAP SPEEDのドライバーオーディションに応募、2006年3月にフルサポートで合格。デビューは同年11月のFJ1600、決勝5位完走を果たす。
2007年からF4にステップアップ、東日本シリーズランキング2位を獲得。2008年は5戦中4勝の強さでチャンピオンに輝いた。

−2008年の東日本シリーズを振り返って、どんな一年でした?

土屋選手 :
第2戦以降、昨年のチャンピオンである位高敬選手が参戦されなかったことが大きかったですね。開幕戦で位高選手に勝てたことが自分には大きな自信につながっただけに、その後も勝負したかったです。


−結果的には全てポール・トゥ・ウィンで開幕4連勝でした。

土屋選手 :
4連勝でチャンピオンを獲得できましたが、シリーズを通じてモチベーションが下がったり、自分自身のスキルアップを怠るようなことはありませんでした。
ただ"ライバル不在だから勝てた"と言われたくなかったこともあり、常にコースレコードの獲得に主眼を置きました。例えレースで競い合いが無かったとしても、レコードタイムを残せば自分の速さはアピール出来ると考えたからです。
もてぎとSUGOではコースレコードを残すことが出来たので、自分でも成長出来たという実感がありますね。


−具体的に成長したと思えるポイントは?

土屋選手 :
昨年以上にコーナーへの進入でブレーキを我慢してアグレシッブに攻めることが身につきました。
最初は「ハイスピードで進入してスピンしかけても、何とかなるだろう」と深く考えずに突っ込んでいったのですが、やってみたら自分の本能で何とかマシンをコントロール出来るということに気がつきました(笑)。
また、ドライビングスキルが上がったことに伴って、精神面の成長も果たしていると思っています。


−日本一決定戦は惜しくも2位でしたが。

土屋選手 :
決勝は雨になりましたが、実は自分は雨のレース経験がとても少ないんです。
スタートから序盤の3周くらいは思ったように走れなくて辛かったですね。花岡選手に先行された後、松本武士選手を抑えきれたことが奇跡的、と言えるくらいです。
スタートして1コーナーまでは「これは勝てる!」と思ったのですが、3コーナーあたりで「
あれっ!?」となってしまって。こちらが思ったように曲がれないのに、花岡選手は何事も無かったように横に並んできた。「どうして花岡選手は、あんなに曲がれるんだ?」と不思議でしたね。
終わってみての反省は、フォーメーションラップが下手だったな、と。タイヤをもっと上手く温める方法を身につけなければならないと痛感しました。


−2009年に向けての抱負は?

土屋選手 :
2008年シーズンを通じて色々なことを学び、身につけてきました。日本一決定戦では松本選手との2位争いを通じて「レースの駆け引き」も経験しました。
来年の活動についてはまだ未定ですが、フォーミュラでもツーリングカーでも、とにかくF4レベルと同等かそれ以上のレースに出場することが第一。何よりも「レースを引き続きやっていきたい」と強く思っています。
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